現代の「日本的経営」論(10)
関西経済連合会など全国の七つの経済団体は11日,上場企業の行動規範「コーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)」の大幅な改訂を求める提言を連名で発表した。基本的な考え方を,株主資本主義から,顧客や従業員,取引先といった多様な利害関係者を尊重する「マルチステークホルダー資本主義」へ転換するよう求めた。
提言では,短期で株主に報いる経営ではなく,中長期を見据えた経営を促すことを重視。また,経営の実情を反映して,取締役の3分の1以上を社外取締役にするルールを「目安」として柔軟性を持たせるよう求めた。
関経連が提言をつくり,北海道や中部,中国,九州などの6地域の経済団体が賛同した。今後,連名で政府・与党,東京証券取引所などに要望する。
これは朝日新聞2023年9月12日の朝刊に載った記事である。そこでのタイトルは
企業統治「株主第一」にNO
というもので,副題として
「多様な利害関係者の尊重を」関経連など提言
という文章がついている。
すでに経済界では大きく話題になっているテーマであるが,このところ「アクティビスト」と呼ばれる人々の活動が大いに注目されている。そしてそれは,彼らが「物言う株主」などという「誤訳」で採り上げられてしまっていることにも起因していると考える経営学者も少なくないのである。すなわち,
従来の日本企業の株主は,ほとんどが株主総会には出席せず,かりに出席しても経営側から提案された案に「シャンシャン」と賛成するだけで,自らの独自の意見は持っていない,あるいは持っていても開陳しなかった
という意見がよく主張されていたことにもよる。
しかし,そのようなアクティビストという人たちの出自はどのようなものだろうか。すべてを一般的に述べることはできないが,多くの場合,日本的経営とは異なる発想による海外からの利益獲得を求める投資家の集団,と言えるのではないか。そしてそのような人たちの活動目標が,ターゲット企業にどのようなメリットをもたらすのだろうか。建て前として彼らは「企【272頁】 業価値向上」あるいは「株主の富の増加」を謳っていることが多いが,そこでの「企業価値」の概念はどのようなものか。アメリカに典型的な,株主だけの富の向上を日本企業に目指させるのは,はたして正しいだろうか。すなわち日本では「企業価値」と言った場合,株主だけではなく従業員をはじめとする様々なステークホルダーの富,その合計を大きくしようとするのが日本的経営の重要なコンポーネントであり,それのメリットを彼らは理解しているだろうか,していないと判断されることが多いのではないか。
以前これに関して「ハゲタカ株主」という概念が広まったことがある。松崎(2021)は次のように述べている。
アクティビストの姿勢が変わってきている。日本における従来のアクティビストのイメージは「攻撃的」。短期間で高い運用利回りを上げようと投資先企業に対して大幅な増配,自社株買いなどの株主還元や,事業売却といった大規模なリストラを要求。このため,「ハゲタカ」などと称されることもあった。
ところが,最近は「アクティビストが企業と“ウィン・ウィン”の関係を目指す傾向が強まったため,一般株主などの賛同も得やすくなったとする。高利回りを実現したら投資先企業の株式を売り抜けてしまうのではなく,中長期のスタンスで経営に参画し収益構造やガバナンスの変革などに注力するアクティビストも少なくない。
もともとハゲタカファンドとは,屍肉を漁るハゲタカのイメージから来たもので,破綻した(あるいは破綻寸前の)企業を安値で買取り再建させた後に売却する投資ファンドを指していた。しかし最近は,ネガティブな投資行動を取るファンドをハゲタカファンドと呼ぶようになったとされる。マスメディアの報道がはじめとなり,一般的なハゲタカファンドのイメージは,やり方が汚い,会社を食い物にしている,法律を守らない,楽をして儲けている,外資系であることが多い,などが挙げられることが多い。しかし実際には,何がハゲタカなのか?という正確な定義はないとされる。山口(2007)は次のように述べている。
ハゲタカファンドの正体とは何だろう。端的に定義すれば,「他の利害関係者(社員,経営者,株主など)の犠牲の上に,自らの利益を創るファンド」といえるのではないか。
松崎(2021)ではアクティビストとハゲタカ株主が同義に扱われており,これはちょっと驚くが,現代においてはそのような解釈は典型的とは言えないだろうと思う。ただ,アクティビストの中にはそのような人たちもいるかもしれない。そこで,ここではハゲタカ株主的アクティビストを@アクティビストA,非ハゲタカ株主的アクティビストをAアクティビストB,と仮に名付けておくこととする。後者は,見方によっては,いわば「正義の味方」を名乗っているかもしれない。その真偽は,とりあえずはわからない。
そして,これは多くのケースでおかされている誤りだが,従来のような「日本的な」株主の「代わりに」新しく出現してくる株主が必ずしも教科書的に良い意図を持った者(アクティビストB)である保証はない。この点については,以下のような非常に教訓的なケースが出現している。
ドラッグストア大手のツルハホールディングス(本社・札幌市)と,「物言う株主」との攻防が激しさを増している。社外取締役の一新を求める香港の投資ファンド「オアシス・マネジメント」に対し,ツルハは7日,株主提案に反対する意見を表明した。ドラッグストア業界の再編に発展する可能性もあり,ツルハの筆頭株主であるイオンの動向が注目されている。
オアシスは6月に株主提案書を送り,「創業家支配による不適切な企業統治体制になっている」と経営陣を批判。元東京地検検事の郷原信郎弁護士ら社外取締役5人の選任や,会長職の廃止などを求めている。
ツルハの取締役は現在9人。創業家の鶴羽樹会長,次男の順社長を含む計4人が本体か子会社創業家出身者だ。オアシスはこの構図が「人材の登用を阻んでいる」と問題視する。
これに対し,ツルハは7日の取締役会で株主提案に反対するとともに,社外取締役3人を含め現在の取締役の体制を維持し,追加の社外取締役2人を選任する議案を8月の定時株主総会に出すことを決めた。
ツルハの鶴羽順社長は7日,朝日新聞の取材に「社外取締役の総入れ替えが必要な企業統治上の問題はなく,創業家の存在が悪影響を及ぼしている事実もない」と反論した。
オアシスは5月に提出した大量保有報告書でツルハ株12.84%を保有する大株主に浮上し,約13%を持つイオンに次ぐ大株主になった。オアシスのセス・フィッシャー最高投資責任者は6月末,朝日新聞の取材に対し,「ドラッグストア業界はコンビニ業界のように3,4社が支配する構図に変わる」と語り,業界再編に意欲を見せた。
最大の注目は1995年から提携している筆頭株主イオンの動きだ。オアシスはイオンの株式も保有しているとされ,イオンに対し「ツルハに圧力をかけるように働きかけている」(関係者)とされる。ツルハの株主総会は8月上旬に札幌市内で開かれる予定。イオンの議決権行使の行方が注目されるほか,イオングループのドラッグストア最大手ウエルシアホールディングスとの再編話が浮上する可能性も出ている。(編集委員・堀篭俊材)
これは2023. 07. 08付けの朝日新聞朝刊の記事である。ツルハホールディングスについては,次の通りである。
ツルハホールディングス
1929年,北海道旭川市で鶴羽薬師堂として創業。全国各地のドラッグストアを相次いで買収し,「ツルハドラッグ」のほか,「くすりの福太郎」「杏林堂薬局」「ドラッグイレブン」など今年5月時点で2589店を展開する。来年5月期決算で北海道企業として初めてとなる「売上高1兆円」をめざしている。
そしてその後,次のような記事が続いた(2023. 08. 11朝日新聞朝刊)
ドラッグストア大手のツルハホールディングス(HD)は2023年8月10日,定時株主総会を札幌市内で開いた。大株主である香港の投資ファンド「オアシス・マネジメント」から出ていた独自の役員選任などを求める株主提案はすべて否決され,ツルハ経営陣が出していた会社提案の役員選任議案などが承認された。
【274頁】総会には131人の株主らが出席。参加者によると,株主から出た22の質問はオアシスによるものが目立ったという。質問は,ガバナンスや役員の選任過程の透明化などに集中した。「株主提案が出たので,どんな議論になるのか聞きたくてやってきた」と足を運んだ株主も多かった。
総会後に会見したツルハHDの鶴羽順社長は「引き続き戦略的なM&A(企業の合併・買収)を推進し,さらなる成長を実現したい」と語った。
このようなアクティビストの活動は,セブン&アイ・ホールディングスが2023年5月に行った主張に明らかなように,ここでの投資ファンドのアメリカ・バリューアクトキャピタルが関心を有するのは,堅実な価値創造を犠牲にした上での短期的な株価上昇だけで,最終的には他の株主の利益に反する,という面が強いと思われる。そしてセブンが進める構造改革への理解を既存株主などに呼びかけている。
セブン&アイ・ホールディングスの取締役会は2023. 5. 12,米議決権行使助言会社のISS(インスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ)の見解に反論する声明文を公表した。
ISSは9日,米投資ファンドのバリューアクト・キャピタルが提案した4人の取締役候補を全員選任するよう,セブンの株主に推奨した。しかしセブンの取締役会は,ISSの推奨内容とは見解が異なるとして同社が推薦する取締役候補の選任に賛成するよう呼びかけた。同取締役会は,ISSのリポート内容はセブンのガバナンス体制の変革などが勘案されていないと指摘した。その上で,セブン推薦候補者に対する反対推奨は「現状に対する不完全な理解かつ過去の実績に重きを置いた認識に基づいたもの」で,多くの部分でバリューアクトの一方的な主張を繰り返しているように見受けられる,とした。[東京 12日 ロイター]
こうして行われた株主総会の結果は次の通りである3)。
注目された「物言う株主」との対決はあっさりと幕を閉じた。5月25日に開かれたセブン&アイ・ホールディングスの株主総会は,投資ファンドからの株主提案を否決,井阪隆一社長らの再任が決まった。総会に向けては3月にアメリカの投資ファンド,バリューアクト・キャピタルが,井阪社長ら4人の取締役の退任を実質的に求める株主提案を行っていた。セブン&アイの取締役会は4月中旬,株主提案に対する反対を正式に表明。そもそもバリューアクトの株式保有比率は4.4%に過ぎない。当時は「(現体制に)いろいろ問題はあるけど,そうはいっても最高益をたたき出すほど絶好調だから株主提案は通らないだろう」(セブン&アイグループ幹部)といった楽観的な見方が多かった。
しかし5月に入りアメリカの大手議決権行使助言会社,インスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)とグラスルイスが,井阪社長ら会社提案の取締役選任案にそ【275頁】 ろって反対を推奨すると,楽観論が後退。メディアを通じて互いの主張を展開し合うなど,攻防が続いていた。
JR四谷駅近くのセブン&アイ本社で午前10時から始まった株主総会には,昨年より187人多い436人の株主が参加した。冒頭に2023年2月期の業績概要が示された後,議長を務める井阪社長が会社提案と株主提案の概要を淡々と説明。「提案を行っている株主様,ご説明なさいますか」とバリューアクト側に発言の機会を与えたものの,その場で手をあげるものはいなかった。
続く質疑応答では,難航する百貨店のそごう・西武の売却について,井阪社長が「今の段階でプロジェクトを中止する考えはない」と改めて表明した以外に目立った内容はなかった。全10の質問のうちの5つは「井阪派」ともいえる,セブン−イレブンを運営するオーナーからのもの。毎年参加しているという株主は,「例年と変わらない平凡さだった」と語った。
午後1時過ぎに採決され,株主提案は否決,会社提案が可決された。会社提案のうち,井阪社長の再任についての賛成率は76.36%だった。実は事前の票読みでは,賛成率はもっと低くなるとの見立てがあった。ISSとグラスルイスという2つの助言機関が会社提案に反対した場合,外国人投資家はその“助言”に従うことが通例なためだ。
セブン&アイの外国人株主比率は約33%(2月時点)。国内の一部の機関投資家が会社提案に反対すれば,賛成率は60%程度まで低下するとの見方もあった。自らの賛成率を見て,井阪社長は胸をなで下ろしたことだろう。
「非常に残念。不採算なスーパー事業を切り離し,高収益なコンビニに集中できるせっかくの機会を逃してしまった」。井阪社長の再任に反対票を投じた個人株主はそう語る。
というのも,バリューアクトはセブン&アイの株主となったこの数年,同社にスーパー事業を切り離し,成長ドライバーであるコンビニに経営資源を集中するよう求めてきたからだ。今回の株主提案はあくまで取締役選任議案だったが,背景にあったのは祖業であるイトーヨーカ堂,そしてスーパー事業が今のセブン&アイに必要か否かという問いだったといえる。
3年でスーパー事業を再建,と井阪社長は宣言しているようだが,バリューアクトのパートナー,ロブ・ヘイル氏は総会前に行われた東洋経済のインタビューに,「セブン&アイは中計を出すたびにヨーカ堂の構造改革を進めると言い続けてきた。国内に約100店展開するヨーカ堂の建て直しに力を注ぐがあまり,世界に8万店以上あり成長の原動力でもあるセブンーイレブンに注力しきれていない」と不満を語っている。
セブン&アイが井阪体制に移行して7年。その時間は決して短くない。物言う株主との対決の末,再任された井阪社長は今度こそ構造改革を実現できるのか。真の手腕が問われることになる。
こうしたアクティビストの提案が正しいのかどうかは当然,すぐにはわからない。何年か先,その成果が判明してからである。特に,井阪社長の持論──「祖業であるイトーヨーカ堂を守るための決断ではなく,コンビニの成長には「食」の強化が必要であり,スーパー事業が必要である」,という戦略には,にわかには結論は出ないだろう。2007年から取り扱いを始めたプライベートブランド(PB)の「セブン・プレミアム」は,今や国内セブン−イレブン店舗の売り上げの4分の1を占め,そのPB開発チームは総勢約130人にのぼるが,その77%がスーパーなどコンビニ以外の事業会社出身だという。コンビニが取り扱う商品数は約2000アイテム程度。それに対してスーパーは,食品だけで1万5000アイテム以上を取り扱っている。井阪社【276頁】 長によれば売り場や顧客の趣向に対する知見の広さは,商品開発の幅や深さの源泉となるとされる。
たとえば一昔前まで,セブン−イレブンの食品といえば,おにぎりやサンドウィッチが主体だった。しかし,女性の社会進出や世帯人数の減少,高齢化など人口動態の影響で,個食や時短ニーズが高まっている。2022年度の冷凍食品の売り上げは,スーパーで冷凍食品を買うのが当たり前だった2009年度の20倍にまで増えているという。そして井阪社長の独特の主張が,「コンビニをどう伸ばすか」を考えると,カギを握ってくるのは「食」だ,ということである。「食」は人口動態が変化する中でも市場規模が底堅い。グローバルでも,フレッシュフードの売り上げ構成比と客数に関しては,正の相関にあるという。
しかし,バリューアクトが求めるイトーヨーカ堂などスーパー事業の切り離しは,井阪社長によればその「食」のリソースを失ってしまうことに等しい。中長期的にはコンビニの競争力を削いでしまうだろう。
こうした変化はこれからも間違いなく続いていくし,それに対応するためのリソースは,コンビニよりもお客様の「食」場面を知っているスーパー事業にある。われわれはそう考えている,と井坂社長は熱く語る。ただ,まさにこの主張がアクティビストには理解できない( )のではないかと筆者らは考えていて,彼らには目前の損失源としか見えていないのではないだろうか。その正否は筆者らにはわからない。
ここでのバリューアクトがそうではないが,昨今は特にゼネコン業界で特別配当や自社株買いを要求するケースが増えている。それはまさに長期的な成長よりも目前の利益を追う姿勢だ,という批判の好対象になることになる。
では,このような「アクティビスト」は一体毒なのだろうか,薬なのだろうか
この点については,詳細な言及があるので,それを追いつつ議論・検討してみたい4)。
そこでは,「アクティビストは毒か薬か」というタイトルで,「株主の権利」で変革要求,という副題がついている。以下,順に追っていく。
アクティビストを自称する投資ファンド「ストラテジックキャピタル」(SC)代表の丸木強氏は,これまでに3回,相手にこう告げたことがある。
「あなたはもう,社長をおやめになったほうが良いんじゃないのか」
それも,投資先の社長と初めて対面した場や,他の株主がいる株主総会でだ。東証プライム市場に上場する日本証券金融も,そのひとつだ。国の免許に基づき,証券会社にお金や株を貸す事業を独占的に手がける。
丸木氏が問題視したのはこの会社の社長を70年以上にわたり,10代続けて日本銀行の出身者が務めていることだ。伸び悩む業績をあげ,「天下りありきの不公正な人事で選ばれた経常陣では,企業価値向上に真剣に取り組めていないからではないか」と指摘した。
日本証券金融は「問題はない」と反発した。
SCは,天下りの実態を第三者の弁護士らが調べるよう求めている。この冬,その調査が必【277頁】 要かどうか問う臨時株主総会の開催を,会社法上の株主の櫂利を使って請求した。2月にも開かれる見通しだ。
丸木氏は「株主には漫然と経営をしている社長を代える権利も,第三者の調査を求める権利もある。株主がその力を最大限使うことで,会社が変わり,社会もよくなるというのが我々の大義名分であり,ムラカミと20年前に目指した姿でもある」と話す。
「ムラカミ」とは旧村上ファンド代表の村上世彰氏のことだ。
2人は灘中高(神戸市)の同級生で,丸木氏が野村証券から村上氏がいた通商産業省(現経済産業省)に出向した20代後半に再会。約10年後の1999年にもう一人を誘って3人で村上ファンドを立ち上げた。丸木氏は副代表になった。
村上ファンドは企業がため込んでいる余剰資産に目をつけ,配当や自社株買いなどの「株価向上策」に使うことを企業に迫った。
通産省OBが仕掛ける攻防は注目の的となった。取引先同士や同じ財閥系で株を持ち合い,互いの経営には口を出さない関係が日本企業では普通だった。
権利を主張し株主遠元を露骨に迫る姿に,経堂者は敵視する向きが強かった。投資がわかった企業は株価向上策を期待し株価が急騰した。莫大な利益も得たことで世間から「金の亡者」といった批判も浴びた。
だが村上氏はニッポン放送株を巡るインサイダー取引事件で逮捕,有罪判決を受ける。06年,村上ファンドは解散した。
「村上ファンド」というと一般にはほとんど「悪の権化」のような感じ方をされていると筆者らは考えている。いわゆる「ハゲタカファンド」の典型とされていて,「正義の味方」と考えている人がいるようには思われない。しかし,最近はなにがしか「衣替え」をしつつあるようだ。
風向きが変わったのは,安倍晋三政権が経済政策アベノミクスで打ち出した「第3の矢」だった。海外から投資マネーを呼び込もうと,二つの指針ができた。14年の「日本版スチュワードシップ・コード」(「責任ある機関投資家」の諸原則)と,15年の「コーポレートガバナンス・コード」だ。
透明性の高い経営体制や情報開示,株主の権利の確保を企業に求め,株主である機関投資家には企業のそうした姿勢を監視していく責任があると定めた。旧来型の日本企業と株主の「なあなあ」な関係を解消し,株価と株主によるガバナンスを重要視する「欧米型」への変化を促すものだった。
二つのコードに法的な強制力はないが,国が求める指針に対し,順守を宣言する企業は一気に広がった。「コードにそぐわない企業は『ガバナンスが劣る』と主張できる口実を与え,結果的にアクティビストに企業を脅す武器を渡すことになった」。企業統治に詳しい遠藤元一弁護土はそうみる。
アクティビスト対応支援業務の国内最大手,アイ・アールジャパンによると,アクティビストによる株主提案は二つの「コード」がそろった後から急増。22年は約175件で過去最多だった。提案の中身も,旧来型の剰余金処分などに次いで「ガバナンス」が増えており,3割弱を占め【278頁】 る。
丸木氏が日本証券金融の「天下り」を指摘する資料でも,こうした人事がまかり通る会社の状況を「ガバナンスが崩壊している」と批判した。こうした提案に総会で賛否を投じる機関投資家はスチュワードシップ・コードにより,賛否の結果や判断基準を公表しなくてはならなくなった。
日本証券金融の「天下り」批判の件については,反対する投資家は現在の日本では多くはないのかもしれない。そしてこれは,たしかに株主の富だけではなく企業価値全体にとっては,建て前としては好ましくないものであるかもしれないからである。
日本生命保険の反田祐介・株式課長は「アクティビストも我々がどこまでなら賛成できるかを観察し,その範囲内すれすれでの提案をしてくるようになってきた印象だ」と明かす。
議決権電子行使事業を手がけるICJの調べでは22年6月総会に出された株主提案への賛成比率は,国内機関投資家が6.7%,海外機関投資家が24.5%。11年6月総会のそれぞれ2.1%,8.3%からいずれも3倍ほどに増えている。
二つのコードで,アクティビストは企業を突く新たな武器を得て,巨大な議決権を持つ大手機関投資家をも味方につけつつある。
この動きを肯定的にとらえるのが,株主対応の助言業務を手がける牛島信弁護士だ。「中長期的な視点からの良質な提案に,機関投資家は反対できなくなった。アクティビストがそうした提案を出し,賛同を集め,企業を変えていければ,停滞した日本経済を救う存在にもなり得る」
別の見方もある。遠藤弁護士は「アクティビストの資金の出し手に短期のリターンを求める投資家が多いという構図は昔から変わらない」と指摘。「中長期的成長を目指す企業と,短期志向のアクティビストは基本的には相いれない」とみる。
アクティビストの提案には,長期的な視野に基づいているとする成長戦略も目立つ。ただ,「企業の成長につながるか否かは,経営陣と株主が見極める必要がある」と,アイ・アールジャパンの北村雄一郎社長は言う。「その境目はいま,本当にわかりにくくなっている」
こうして見てくると,旧ハゲタカファンドは我が国の実情に合わせて対応・適応を見せてきていたといえそうである。ただ,繰り返しになるが,日本的経営の優れた面を正しく理解し,それを生かす方向での意思決定を促進していたであろうか。
この点については,TOBに対してホワイトナイトとして選んだ投資家グループとのトラブルに巻き込まれた不動産会社ユニゾホールディングの失敗例が取り沙汰されている。同社はHISによる敵対的買収に対するために,従業員とアメリカ投資ファンドのローンスターが共同設立した「チトセア投資」によるTOBで株式を非公開化した。資金はローンスターからおよそ二千億円を調達。ただしその返済のために自らの資産を売却したり,優良資産の売却によりローンスターには返済は済んだものの,他の借入金の返済や社償還のために更に資産売却に迫られた結果,非公開化から3年後の2023年4月に民事再生法の適用となったのである。M&Aにあたり,そこで尊重すべき原則として,企業価値の向上と一般株主利益の確保を,2019年6月に経産省が公表した「公正なM&Aの在り方に関する指針」では挙げていたが,ユニゾ側は【279頁】 そこでの「企業価値」には従業員の雇用や働きがいが含まれると解釈していたのである。しかし実際にはローンスターらのTOB価格は大幅に高騰してしまい(2600億円ともいわれる),資金繰りに窮した結果,ユニゾは経営破綻したのであった。そこでは企業価値という概念の中に,結果としてローンスター側としてはユニゾが当然と考えていた「従業員の雇用や働きがい」という日本的経営の源泉であるものは入っていなかったことになる。
このように見てくると,やはりアクティビストという人たちは,株主の利益「および」従業員の利益,という企業価値の概念,それはすなわち日本的経営の原点であるが,それは見られていない ,と考えざるを得ないのではないか,という結論へ進んでいきそう,と思われるのである。前述の@アクティビストAか,AアクティビストBか,ということになる。
こうなると,「アクティビスト」云々以前に,経営者は,どんな視点で何を言う投資家を株主として迎えるべきか,ということを考えるべきだ,ということになる。オムロンのIR担当・井垣勉氏は「企業は株主を選ぶ努力はできる」と説いたそうであるが,長期的な視点で企業を評価し,経営への助言もしてくれるようなプロの投資家に株主になってもらう,そのためには「ターゲティング」と呼ばれる方法,すなわちアプローチすべき長期投資家を複数選び,個別あるいは小グループのミーティングを開催する,ということである。すなわち,前述の「どんな視点で何を言う投資家を株主として迎えるべきか,ということを考える」,これは戦略的な投資家向け広報(IR)にあたる。一般的な話としては自社の株主構成に常に気を配る必要はあるが,さらに「望ましい株主」へのアプローチングが適切,ということになる。
そしてそこでやはり@アクティビストA,かAアクティビストBかの正確な認識の重要性,すなわち,話としては@に気を付け,Aとの有効なコミュニケーションを図る,ということを常に試みることであろう。
1980年代に称賛された日本的経営に対する評価は,90年代から2000年代を通じての日本経済の低迷期を経て,大きく変わった。かつては日本企業の強みとされていた同じ特性が弱みと評価されるようになった。これまでのわれわれの一連の論考で日本的経営の特質や問題点について検討してきたが,青島他(2010)は,図表1のように80年代の成功要因と90年代の失敗要因を列挙している。
【280頁】この表から明らかなように,雇用制度,報酬制度,戦略,ガバナンス制度,拡張型企業,企業と政府の関係のそれぞれについて同じ要因が,80年代では成功要因であったものが,90年代では失敗要因となっている。なぜなのか。その理由はさまざまあろうが,ここでは新制度派経済学,その中でも特に取引費用理論の観点から考察してみたい。市場と組織の相対的優位性の変化に焦点をあてて,日本企業の経営システムがうまく機能しなくなった原因を新制度派経済学の知見を踏まえて議論したい。
バブル経済崩壊後の1990年代は,日本経済が極度の不振に陥ったため,日本企業の在り方が問い直されたばかりでなく,政治経済面でも困難な課題が満載であった。特にアメリカなどに比べて政府による経済的・社会的規制の多さが問題視された。90年代に政権を担ったいくつかの内閣で規制緩和が取り上げられ,企業の自由な活動による新陳代謝の促進や個々人の創造力や主体性を発揮させるべく,それを適える新しい政策が推し進められた。労働市場の改革や金融ビッグバンなどさまざまな施策が試みられた。2010年代には企業の本格的なガバナンス改革も進められたが,そうした努力にもかかわらず,スイスのビジネススクールIMDの調査によると,1980年代後半世界一の競争力を誇っていた日本は,直近の2023年には35位まで低下したという。こうした結果をもたらした責任の一端は,日本的な経営システムにあるのではないかとの見方がある。いわゆる日本的経営は全面的に放棄すべきであるとの主張も登場した。本当にそうすべきなのか。
最初に,これまで筆者らが議論してきたところである日本的経営システムの特質を改めて検討してみたい。上の図表1にもあるように,日本企業の特質を表す要因として,雇用システムや企業の目標,行動といった戦略要因,ガバナンス制度等々が挙げられるが,論者によって,また時代によって何をもって日本的経営の特徴とみなすかは異なってきた。以下では,ウィリアムソン(1996)の議論を基に,整理する。ウィリアムソンは,Aoki(1990)に依拠しながら,日本企業の特徴を雇用,金融,下請に関わる制度や慣行を中心にまとめ,それらの要因の補完的関係を日本的な企業システムの特徴と捉えた。⑴雇用,下請制度,銀行の三つの主要因が日本企業の成功の根本原因である,⑵その各々の実効性は際立った制度的支援に依存している,⑶三つの要因は互いに補完的関係にある,と論じた。
終身雇用と年功制度は周知の日本的経営の特徴であるが,それは1990年代に至ってはやや崩れかけていた。むしろウィリアムソンは日本企業の雇用関係の特質を社員等級制度5)にあるとの青木の議論を受け入れたうえで,死活的に重要な二つの制度的支えに依拠していたという。一つは,企業内の人事部門の地位の高さであり,二つは企業別組合である。まず日本企業の人事部門の配置と専門化そして上司と部下の昇進キャリアが同じ人事部門によって管理されるという仕組みは,企業内政治化が表出するという問題を軽減してきた。米国企業に比べて,日本の直属上司は部下の命運に遥に少ない管理しか及ぼさず,人事部門がキャリア形成に大きな役割を果たしていた。
さらに,「日本企業の企業別組合は,企業の目的と必要性により緻密に関与し,同時に,人事部門の機能発揮に実効的なチェックと発言を行って」(ウィリアムソン(1996),385頁)おり,企業別であるため,政治目的よりも狭い労働者の経済的必要に焦点をあてている。そのことが労働者と企業の長期的利益に適うことになるだろう,と論じている。企業特殊的な人的資源の深化とより効果的な活用は,これら二つの雇用関係の制度的支えによって促進されているという見方を提示している。
日本の製造業大企業はアメリカのそれらより垂直的に統合されていなかった。そのことは自動車産業での部品内製率の比較から統計的にも明らかにされている6)。ウィリアムソンは,日本企業は混合的契約により広範に依拠しているという。つまり,下請制度を巧みに活用して,効率的な部品調達を実現してきた。
実際には,日本も米国も調達慣行は類似しており,高度な特殊的投資は親企業によってなされ,これについては垂直的統合の下で行われ,それに対して,ごく一般的・汎用的投資による部品は市場で調達される。問題はこの中間に位置する部品の調達,投資をどうするかである。日本企業は,浅沼(1997)の研究にあるように,⑴供給される部品の性格,⑵契約関係の歴史,【282頁】 ⑶産業の成熟度,⑷各関係特殊性技能のサプライヤーの評価,に応じて契約は体系的に変え,経済性を第一として,高度に洗練された水準で管理してきた。これは,垂直的統合は最終的に訴えるべき組織形態であるとする日本企業の理解の反映であるとする。
つまり,中核企業とサプライヤーが密接に協調しながら,部品特性に応じて投資を行い,最も効率性が発揮できるような契約を工夫しながら部品調達をしてきたといえよう。そしてこれが日本の製造大企業の重要な戦略的な特徴であった
日本の銀行は全体としてみれば,上場企業の発行済み株式の大きな割合を占めてきた。それを背景に銀行は製造企業の経営行動に関与してきた。日本企業はメインバンクと呼ばれる長期融資の主体となる銀行を一つ有しており,メインバンクは当該企業の事業状況の厳格な監査に責任を持っている。企業が経営困難に陥れば,メインバンクは各種の救済措置実施の主たる責任を負う。
この責任を果たすことを拒絶することは名声効果の故に,あり得ない。メインバンクが責任を果たさないと,銀行集団のメンバーから除外され,多大な罰則を事実上課せられることになる。また銀行の株式所有と企業間の相互株式の持ち合いによって,乗っ取りの脅威から隔離されていた。つまり銀行を中心とする金融機関の役割が日本企業の戦略の実施に大きな影響を与えてきたのである。
これらのわが国の諸慣行は相互に密接に関連しており,特に雇用慣行は広範な下請制度と銀行によるコントロールに支えられている,とウィリアムソンは論じている。終身雇用的な慣行は,日本企業に多くのメリットがあった。しかし,取引費用理論の観点からすると,すべての長期契約は不可避的に不完全であり,終身契約も長期契約であるため,不完全な故に弊害を伴う。具体的には,経済的に苦境に陥った時の対応の難しさ,職務遂行の怠慢,特定企業への生産能力の特化した従業員が企業買収などによって当該企業との約定を反故にされる危険,平等主義的な要求の否認の困難による終身の保障の不可避,といった弊害があるのである。
こうした弊害を軽減するのが,人事部と企業別組合の協力であり,それが怠業や過度の平等主義を軽減する。また下請企業がより終身雇用でないことによって,需要減に伴う親企業の経済的苦境の困難を緩和する。さらに広範な下請制度は中核企業の労働力を同質化し,人事管理と企業別組合の運営を単純化させ,平等主義の弊害を軽減する。現職の経営陣が乗っ取りによって解任されることから生じる違約の弊害は,メインバンクが乗っ取りをある程度コントロールすることによって減じられてきたのである。
1980年代を通じて,日本企業は従業員や取引相手,銀行と,総じていえば,長期・継続的関係を保持することによって,それらの間のシステム的効果を通じて互いに支え合いながら,企業のパフォーマンスを高める仕組みを構築していた。
一方において,後で論じるように1980年代のヒエラルキー優位の時代における,米国大企業の経営のパフォーマンスは高くなかった。組合との対立や株式市場における短期的視点からの経営権の奪い合いなど,が深刻な問題であった。日本的経営の巧みさが米国企業の経営の仕方を上回っていたといえるように思われる。1980年代は,日本の経済システム全体の仕組みと日本的経営の運営の在り方が相互補完的にうまく機能していた。
産業でいえば主として,電子機器,自動車,工作機械といったセクターがわが国企業の成功【283頁】 に大いに貢献した。そうした産業では生産工程における緻密な分業と統合,すり合わせや協調,情報の共有,特定の工程に特化した人的特殊投資や熟練が特に重要であった。
しかし,その後,急速に技術革新が進み,高度先進国の産業の中で枢要な地位を占めるようになった金融業や情報通信産業などで求められるテクノロジーや知識の在り方は大きく変化し,日本的経営の特質は試練を迎えることになるのである。
以上のように,日本企業の経営の在り方は,雇用,企業間関係,銀行制度などがそれぞれ標準的な経済学の論理とやや異なった形態をとりながらも,相互に補完するシステム的効果を発揮して,目覚ましい成果を上げていた。それでは,なぜ1980年代に隆盛を誇った日本経済や日本企業は停滞することになったのか。その理由を新制度派経済学,特に取引費用理論の観点から分析してみたい。
新古典派経済学の世界では,市場機構の効率性が称賛され,効率性が実現される条件の解明が理論的興味の中心であった。しかし,理論的に明らかにされた理想的な条件は厳しく,現実の経済の動きはそこで想定されていたものとは著しく異なる。コース(1937)が先駆的に論じたように,新古典派経済学が想定する完全情報の世界とは異なり,現実世界は情報が不完全であり,不確実性に満ちている。そして人間の能力も限られている。情報処理能力や記憶能力などにおいて限界があり,そうした制約の中で効率性を実現すべく,企業という組織は様々な決定を下さなければならない。そもそも市場が完全であれば,価格メカニズムが摩擦なく作動し効率性が達成されるが,実際には自動的に効率性が実現するわけではない。だからこそ企業という組織が市場に代わって登場する場面が生まれるのである。
不完全な情報や知識のもとで,如何に取引関係を構築し,有効な戦略をとるかを企業は模索しなければならない。この不完全な世界では,取引費用が不可避的に発生するのであり,その費用の大小は,制度選択に重要な意味合いを持つ。完全情報下とは異なり,どのような企業組織や戦略が望ましいのか,唯一の解はない。環境に適応すべく多様な制度やシステムが生成する。そのあり様は,国によって時代によって異なることになろう。どのような制度が望ましいのか,効率的であるのかに関する問題を考察するのに有用な枠組みを提供してくれる理論の一つが,取引費用理論なのである。
取引費用理論は,コース(1937)の先駆的業績である「企業の本質」を基に,ウィリアムソン(1975,1985)によって確立され,今なお発展しつつある。取引を分析の基本とするという発想の原点は,旧制度経済学の議論に遡れるが,旧制度派はしばしば指摘されるように理論的枠組みを欠いているという欠点があった。これに対して新制度経済学を確立したウィリアムソンは,取引を分析の基本単位としつつ,企業という制度がなぜ市場の中で成立するのかを説明する理論的枠組みを樹立した。
その基本的な枠組みに組み入れられていたのは,当初,人的要因としての限定された合理性と機会主義,環境要因としての不確実性と取引相手の少数性であった(ウィリアムソン (1975))。環境要因と人的要因が結びつくことによって市場での取引費用が高まり,その結果,階層組織(ヒエラルキー)が出現する。その際,情報の不完全性・非対称性が大きな役割を演【284頁】 じる。取引相手の行動や環境に関する情報の入手に費用のかかることが取引費用の発生する大きな理由となるのである。新古典派経済学では,取引費用はゼロであることを仮定しており,そこでは市場がすべてであり,制度の選択は問題とならないが,取引費用理論では明示的に取り上げられることになった。
その後,少数性という要因を規定する要因として,ウィリアムソンは,資産特殊性−すなわち取引に特有な資産への投資−が結果として取引者の数を実質的に少なくしてしまうということを強調するようになった。取引開始時においては多数の取引相手がいて競争状態にあったとしても資産特殊性が存在して,事後的に取引相手が少数化してしまう状況に焦点が当てられるようになった。これを根本的な変換とウィリアムソンは呼んでいる。
取引を決定する属性として,不確実性や取引の頻度,資産特殊性が取り上げられ,その中でも特に,資産特殊性が取引のガバナンス(統治)様式の有効性を左右する最重要なものとして重視された。資産特殊性には,立地特殊性,物的資産特殊性,人的資産特殊性などがあるが,いずれもある特定の取引相手のために企画されるため,移転しがたく耐久的で他に変えがたい価値を持つものをいう。それ故,特定の投資対象以外への次善的使用をする場合には,その価値が低下せざるを得ない資産である7)。
資産特殊性がある場合には,短期の取引契約関係では十分な投資がなされない恐れが強く,長期的・継続的な取引が行われることが望ましい。長期的関係が継続するような制度的枠組みが経済的な効率性の確保には必要とされる。こうした特殊性の大きさによって,市場における取引費用の大小が決定され,より取引費用の少ない制度の採用が推奨されるというのが取引費用理論の基本的なアイディアである。市場,階層組織,提携・系列等の中間組織といった各ガバナンス様式の存立根拠は取引費用に基づく効率性の観点から下されることになる。
新制度派経済学ないし取引費用論に依拠した,日本的な経済・経営システムの特質の説明を試みた文献には,丹沢(2000)や武田(2013)などがある。例えば,丹沢は,日本的な雇用慣行である終身雇用の生成を取引費用理論の枠組みを用いて説明している。情報の不完全性と人間の情報処理能力の限界を前提とすると,雇用関係において短期的なスポット契約を繰り返すやり方では取引費用が高くつき,長期契約である終身雇用の方が安くつく場合がある。特に,人的に特殊的な投資によるスキルや熟練が大きな役割を果たすような製造業では,長期契約が望ましく,終身雇用のメリットが大きいということになる,と論じている。また武田は,取引費用節約原理の考え方を振り返りつつ,その知見を日本型経済諸制度に当てはめることで, 日本型諸制度が優位性を失いつつあることの説明を試みている。
市場の取引費用の大小が統合か市場か中間組織か,という取引形態の選択を決めるというのが,コース・ウィリアムソン流の主張であり,どの統治システムが優れているかを決めるのは,取引の環境や構造である。環境の変化が,かつては優秀であったシステムを劣後させることもある。それ故,環境の変化に適応していくことがどんな組織やシステムの存続にも不可欠である。それがどの程度の変革を組織やシステムに要求するのか,絶えず吟味されなければならない。
【285頁】それでは,1990年代を通じて,日本的経営システムの強みを打ち消すようなどんな環境の変化があったのだろうか。その最大の要因は恐らく,情報通信技術の革命的な変化だろう。ITの格段の進歩により,生産プロセスや企業間取引においてモジュラー化やデジタル化が進んだ。近年の情報技術の飛躍的発展までの時代においては,垂直的な統合企業による調整が市場を介した調整よりも優位にあったと言われる。この点については,ラングロアの仮説も検討に値する。ラングロア(2003)は,市場と大規模組織との相対的な優位性をマクロ的な観点から,歴史的に検討した。彼によると,チャンドラーが『経営者の時代』で論じた19世紀末から20世紀半ばにかけて,企業の戦略として垂直的統合が有利であった。しかし,現代の先進国経済では,市場を支える多様な制度の整備と所得水準の上昇による需要の多様化により,垂直的統合よりも市場メカニズムによる調整が支配的となった。彼は20世紀後半以降,経営者による「見える手」から市場の「消える手」へ資源配分の調整メカニズムの主役が移っているという仮説を提示している。自立した企業間の市場を経由した取引が,大規模な統合企業よりも現代の経済社会においては効率的であるということであり,チャンドラーの命題は否定されることになる。
図表2がラングロアの消えゆく手の仮説を示している。市場が有利かどうかは,市場の厚み,すなわち人口や所得水準の高さ,などの外生的要素によって左右され,時代を追うごとに厚みを増すと想定されている。一方において,どのような取引のガバナンス形態が有利となるかを決定する要因として,緩衝の緊急度が挙げられている。これは複雑性,逐次性,高スループットといった観点から見た生産技術の程度の問題である。生産技術が複雑で高スループットであれば,緩衝の緊急度は高くなる。図表2で,市場と階層の境目を表す斜め線の上では,階層組織による調整が有利であり,その下では市場での調整が優位性を持つ。どちらのガバナンス方式が支配的となるかは,生産技術や不確実性の程度に影響される。また情報技術の進歩も大きな影響を与えることは言うまでもない。市場と統合の転換点が1880年代と1990年代に訪れたというのが,ラングロアの主張である。1880年代以前は,市場が支配的であったが,その後,垂直的統合が優位となり,1990年代に再び市場が優位となったことを示している。これはラングロア自身も認めているように極めてラフな議論ではあるが,企業と市場の境界の変遷を示す一つの見方であろう。
ところが皮肉なことに,消えゆく手の曲線の頂点では,米国の統合大企業の効率性は必ずしも高くなかった。第2次大戦後,アメリカが最強の経済大国であり,他国に比して圧倒的な地位を占めていた。大企業の経営は決して効率的といえなかったが,それにもかかわらず,日本やドイツなどが復興するまでは,高い利益率と成長を実現できたのである。
大規模なスループットは,大量生産体制を技術的に要請したが,アメリカ企業はこれにうまく適応できていたとは言えなかった。垂直型の権限命令関係,製造現場における作業員と監督の分離,テーラー的な科学的管理法の限界,強い労働組合などによって,アメリカ企業の生産性は高くなかった。こうした製造産業では,企業特殊的な人的投資が競争力の向上には必須であるが,労働者の流動性の高いアメリカ企業では困難であった。統合的な生産体制と流動的な転職市場,それぞれの論理の両立は難しい。これに加えて,資本市場における敵対的買収の横行が経営者の長期的視野からの経営を阻害していた。これに対して,上述したように,日本企業は従業員や取引相手,銀行と,総じていえば,長期・継続的関係を保持することによって,いわば準統合的な形態で,それらの間のシステム的効果を通じて互いに支え合いながら,取引【286頁】 費用を節約しつつ,企業のパフォーマンスを高める仕組みを構築していたのである。市場と統合組織の中間的な統治構造を上手に活用していた。
しかしながら,最近の情報技術の飛躍的な発展に伴う,市場の効率性の向上は長期・継続性を旨とする日本的経営にとって不利に働く可能性が高い8)。日本企業の強いタイトな文化(シェーデ(2022))に基づくリジッドな企業間の関係,あるいは経営者と従業員の関係,従業員相互の関係は,流動性が低いために市場の自由な資源配分を阻害し,効率性を妨げるようになったといえるかもしれない。消えゆく手の時代に適応しきれなかったといえるかもしれない。それに対して米国企業は中間的な,長期的取引関係に依存することは少なく,統合的な組織が不利となると,市場を利用することに障害は少なかったとみられる。
これまでの議論を踏まえて,日本的経営,広く言って日本型の企業経営システムについて現段階で,どのように評価すべきか。はじめにで述べたように,1990年代に入って日本的経営に対する見方は大きく変わり,悲観的評価が支配的となった観がある。しかし,われわれはその見方には必ずしも与しない。
どのような企業や産業で日本的な経営システムが優位であったかを調べると,そこにはある程度共通した特徴がみられるように思われる。伊丹(2019)によると複雑性,相互依存性,相【287頁】 互信頼をベースとする生産工程,そしてインテグラル型の製品について競争力があった。ところが,製品アーキテクチャーの変化とITの飛躍的進展が,生産システム全般に渡ってデジタル化を促進し,モジュラー型の生産体制を効率的にするように産業・企業の構造を変えた。企画,設計,調達,生産,販売の各段階が分離して自律的な活動が可能となり,垂直的分離の技術的効率性が高まった。その結果,生産流通の各段階間の取引には資産特殊的投資はあまり要求されず,統合された組織内での綿密な調整は必要なくなった。市場を使った企業間取引が相対的に効率的となったことが日本企業の優位性を奪ったと言えよう。
そうした変化の渦の中にあっても,日本企業が存在感を示し続けた産業はあった。複雑性技術を必要とする産業であった。ハード系の製造工程でたくさんの部品が組み立てられる複雑性産業において日本企業が強かったのであり,そこでは日本的経営の良さが生き続けてきた。複雑性産業の典型が今なお日本経済を支える自動車産業である。
青島他(2010)は,産業を製品プル型とデバイスプッシュ(機能モジュール)型に大別し,日本企業が得意としてきたのは,前者であった言う。製品プル型産業とは,最終市場に供給される完成品に要求される顧客価値や機能を実現すべく技術開発・製品開発が進められる産業であり,顧客価値をどれだけ忠実に再現できるかが,競争の要となる。
それに対してデバイスプッシュ型とは,物理的な製品の境界にとらわれることなく,抽象的な機能(デバイス)の境界の変革を通じて新たな価値が生み出されるような産業である。そこでは変化する顧客ニーズと技術の進歩に対応させて,製品,ユニット,部品といったものが継続的に再定義されていき,その再定義の有効性が競争の優劣を決めることになる。
自動車産業や1980年代のエレクトロニクス産業は製品プル型産業であり,日本企業が圧倒的優位に立っていたが,エレクトロニクス産業や半導体産業でデバイスプッシュ型へ移行すると優位性が奪われた。製品プル型産業では,一定の製品が満たすべき要件が決定されており,それを如何に忠実に満たすかが重要であるが,それに対して,デバイスプッシュ型では常に製品の境界が揺れ動き,発想力や企画力,独創性がより求められことになる。
日本企業の経営システム−例えば終身雇用や年功序列,またそれと結びついた社員等級制度は,イノベーティブな発想を要請される場合に,それに応えられる人材を育てるには不適合である可能性が高い。なぜならば,従来とは本質的に異なる発想や企画には,異質な人材や文化との交流が大切であり,日本的な閉鎖的システムは,漸進的な改革には向いているが,飛躍的な改革には適さないからである。取引費用の観点から見ると,部品生産においても人材育成においても,あるいは融資などの資金供給に関しても特定の相手に特殊的な能力を涵養することは,取引関係の自由な切り替えが要請される市場的関係の構築を困難にすると考えられる
また,イノベーションとの関連でいえば9),リスクとは将来がある程度予測可能な状況であるが,不確実な状況は予測不能である。日本企業はリスクに対処するには優れているが,不確実性にはうまく対処できなかったのかもしれない。そのことが1990年代以降の日本企業の苦戦につながったのであり,それは日本的経営の仕組みが相互補完的にシステムとして強固なものであったから,経路依存に縛られ転換することが難しかったと思われる。
しかしながら,だからといって,日本企業や経済がアメリカ的な経済・経営を模倣すればよいことにはならない。産業の中でも,日本的経営の本質的な良さが通用する領域を探索し,特【288頁】 化することによって今後の成長が期待できると思われる。シェーデ(2022)は日本企業の取るべき戦略を集合ニッチ戦略10)と呼んでいる。そうした領域は,情報化・ソフト化が一段と進展する経済の必ずしも主流を形成しないかもしれないが,日本企業が自らの得意分野を深耕することができれば,極端に悲観的になる必要はないと筆者らは考える。
日本的経営に対する評価は紆余曲折を経ているが,日本的経営の良質な部分,根幹部分を維持しながら,適切な修正を加えていくことが望ましいと筆者らは考える。ITの格段の進歩により,モジュラー化やデジタル化が進み,市場の効率性の優位性が増し,取引費用論的観点からして,緻密で複雑な調整に優れた日本的経営の諸システムの輝きは薄れてきているのが実態であろう。90年代以降の日本企業の低成長や世界経済に占めるプレゼンスの低下がそれを如実に物語っている。
日本的な経営システムの中核をなす雇用面をみてみると,終身雇用慣行の打破が唱えられ,労働市場の流動化が叫ばれている。若者の意識の変化も指摘され,就社ではなく,まさに就職,ジョブ型雇用を通じた個々人のスキルアップが要請されている。しかし,若年者が総体として終身雇用的慣行を嫌っているわけではない。企業の人材育成や教育研修を手がけるラーニングエージェンシーが実施した「2023年新入社員の意識調査〈製造業編〉」によると,新入社員の71.9%が「できれば今の会社で働き続けたい」と答え,終身雇用制度を希望していることが判明した。
他方において,マイナビ転職「2020新入社員の意識調査」によると,「今の会社で何年働くと思うか」と聞いたところ,「3年以内」と回答した人は28%に上り,前年の新入社員より5.9ポイントも増加した。「10年以内」にまで期間を延ばすと,計50.3%に上る。こちらも前年よりも3.5ポイント増加する結果となった。
また,日本能率協会(2023年調査)が実施した新入社員意識調査で,「定年まで1つの会社に勤めたい」「機会があれば転職・独立したい」のどちらを志向するか聞いたところ,「独立・転職」志向の人が全体の30.1%に上った。ひと昔前の終身雇用時代とは意識が変化してきている。学歴別では,高校卒業群が20.6%だったのに対し,大卒等(高等専門学校,短大など含む)は34.0%だった。
このように,若者の会社に対する意識については,相反する調査結果があるが,全面的に終身雇用的慣行を拒否しているわけではないと思われる。人材を大切に扱い,長期的に育成しようとする方針は間違っていないし,近年の人的資本経営を重視する流れに即する面もあると思われる。もちろん,過剰な内向き志向は否定されなければならないが,個々人の思いを尊重しながら人材を長期的観点から育てていくことは依然として大事であり,現代の若者にも受け入れられる余地はある。
【289頁】日本企業の強みについて,シェーデ(2022)は,日本にはタイトな文化11)が基盤にあり,それに加えて独特の行動規範があると指摘している。彼女は,変化は遅いが,色々な業種で着実に改革が進められている姿を先進的な企業に焦点を当てて,分析している。タイトな文化にはもちろんメリットもあればデメリットもあることは認識しなければならない。会社が従業員の家族までも丸抱えするような,雇用慣行はもはや不可能かもしれないので,終身雇用といってもこれまでと違う様相を呈してくるだろう。そのため,日本企業の給与に含まれていた生活給的側面の社会化といったかなり大きな変革が必要かもしれない。
その意味で恐らく日本的経営は,日本社会・経済のマクロ的な仕組みの変革と絡み合いながら,変化ないしは進化していかなければならないであろう。日本的経営システムがあらゆる産業や世界各国を席捲することはないだろうが,その強みや良さが生きる産業やセクターがあるのは間違いない。取引費用理論の観点からみてその経済性が発揮できる領域では,それを活かしつづけるべきであり,むしろその強みを武器として,シェーデの言う集合ニッチ戦略を展開して競争に臨むのも一つの有力な方向であると考えられる。
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