うつわにいのちを吹き込む

 私はこの春に、「茶陶の源流」という展覧会を企画した。展示物の中心に据えたのが、茶の湯うつわであった。日本固有の感性が流れ込んだやきものとして、茶の湯のうつわを取り上げるべきと考えたからである。

 茶碗などがもつ温かく柔らかな土の味わい、素地をおおう釉の織りなす幻想的な景色、はつらつとした絵文様など、多彩で魅力的な造形は、まさに日本のやきものの醍醐味といえるだろう。

 しかし私は、ここで通例の「茶道具名品展」を行う意図はなく、むしろ日本人が茶碗に込めた意味、そして土に込めた思いを読み取りたいと思ったのである。

 いにしえの日本人は、うつわに聖なるイメージを託してきたと私は考える。ところが、残念なことに、現代の日本人の多くは、そのことを忘れてしまっているようだ。いにしえの日本人たちの抱いた聖なるイメージ、それをこの展覧会で現代に甦らせたかった。

 以前、イギリスから来た陶磁史の研究者から興味深いことを聞いた。それは、「私たち西洋人にとって、やきもののうつわは単なるモノ、つまり道具以外の何物でもないのです。しかし、日本では違いますね。やきものにいのちを吹き込んでいるのではないですか。日本の人たちがうつわを使う時、人とうつわの間には何かが存在しているように見えますよ」というものである。この言葉は、改めて私に日本人とやきものとの係わりを問い直すきっかけを与えてくれた。

 確かに日本では他の国にみられない、やきものを鑑賞する独特のスタイルを確立してきた。たとえば、うつわに名前を付ける習性を有している。考えてみれば不思議なことである。うつわを眺めた時に感じたイメージを大切にし、そのイメージをもとに名前を付けるのである(図1)。うつわの見どころを、「景色(けしき)」とよんだりもする。うつわのなかに自然の表情や風光を感じ取り、「山」や「海」や「川」などに関する名前を付けてきたのである。茶の湯のうつわを鑑賞する時、しばしばこの「景色」という言葉が使われる。とくに、素地とその表面をおおう釉(うわぐすり)が織りなす色彩の妙に関心が集まったようだ。土と炎の作用によってうつわの表面に展開する幻想的な造形に、なんらかの風景、あるいは鑑賞者の心象風景とでもいうべきものを見出したわけである。

土と炎が生んだかたち

 われわれの祖先は人類初の科学的変化(炎による作用)の応用によって、やきものを獲得したといわれる。土や泥や石といった見栄えのしない原料が、炎の働きによって人工の宝石ともいうべき、輝くばかりの光を放つ美しいうつわに生まれ変わったのである。

 中国の青磁や白磁に代表される輝くような磁器ならば「人工の宝石」というイメージにぴったりであるが、日本に特徴的なやきものといえば、むしろ茶陶のもつ変化に富んだ、いかにも岩肌を思わせる陶器が真っ先に思い浮かぶ。なかでも焼き締め陶器は、豊かな森林資源を背景にたくさんの薪を燃料とし穴窯(斜面を利用したトンネル式の窯)を使い高火度(約1200~1300度)で焼成されたやきものである。

 縄文時代以来、野焼きによって低火度(約800度)で土器を焼き続けてきた日本に、朝鮮半島から穴窯の築窯法が伝わったのは、古墳時代の五世紀前半であった。そして、17世紀初頭に連房式登窯が同じく朝鮮半島より導入されるまで、多少の変化や改良があったものの、およそ千百年という長い年月にわたり、穴窯による焼き締め陶器は日本のやきものの主流を占めてきた。つまり原始以来の土器と、古代以来の焼き締め陶器こそ、日本人の暮らしに根ざしたやきものなのである。

 この土器や焼き締め陶器には、人間が自らの手でかたちづくったものでありながら、そこに土や炎が織りなす自然の作用が融合した造形の妙が存在する。焼き締め陶器(図2)の素地の上に流れる釉、とくに器面全体を均一におおうのではなく、いかにも変幻自在な流水のような動きの釉を、自然釉とよんでいる。

 自然釉とは、穴窯のなかで燃やした薪の灰が落ち、それが素地の珪酸分と溶解しあって、ガラス質の釉となり流れるのである。つまり人為的ではなく、土と炎の作用によって自然にできた釉であった。古代の日本人は、この自然釉の流れのなかに、崇高な自然の気や霊気が立つ様を感じ取ってきたと考えられる。

次のページへ >>
図1 唐津茶入 銘 玉津島
(出光美術館蔵)
図2 黒楽茶碗 銘 黒面翁 
長次郎作(出光美術館蔵)