このテル・ボルフの作品が「父の訓戒」という題名で呼ばれていた頃、そしてその題名に何の疑いも生じていなかった頃、この作品に人々が見ていたものは、そのような「家庭的な雰囲気」であった。しかしテル・ボルフの作品についての知識、さらには17世紀オランダ絵画全般に関しての知識が飛躍的に拡大した現在、ここに表されているのが家庭内の情景であると考える者は、もはやいない。
この作品を所蔵するベルリン絵画館の近年のカタログには、この作品は次のように記述されている。「一人の若い士官が、金貨を持った右手を上げ、彼の前に立つ女に話しかけている。その女は絵を見る者に背を向けている。士官のかたわらには、もう一人の女が座り、ワインを飲んでいる。この場面の主題はすでに18世紀には正しく理解されなくなっていたが……実のところは、人物たちの上品な様子とは裏腹に、娼家での情景を扱っているのである」。作品の保存状態の不完全さと「父の訓戒」という先入観ゆえに以前は見落とされていた、右手の親指と人差し指につままれた金貨の微かな存在が、作品の状態の整備とオランダ絵画の主題に関する知識の整理とを通して、再び認められるようになってきたのである。「ここでは、愛の値段の交渉が扱われている。その際、黒い服を着た女は取り持ちの役割を果たしている。あるいは、おそらくこの〈家〉の女主人として、見張りをしているのである」。
歴史画や宗教画の中の風俗描写が次第に独立して風俗画という新しい絵画領域が成立したのは16世紀のことであるが、娼家の情景を表したこの時期の興味深い例としては、アントウェルペンで活動したヘメッセンの二点の作例があげられよう。一方は「放蕩息子」という聖書中の物語の装いを借りて、酒と女を提供する歓楽の場を描き出したもの(図5)、他方は、同じような情景を純粋な風俗画として描いたもの(図6)である。
後者のような情景は、さらに17世紀に入って、ネーデルラントでは、ここにあげたバブーレンの作品(図7)のような場面へと定式化されてゆく。すなわち、若い娼婦(しばしば陰部の象徴としてのリュートを持つ)、金を提供しつつ女に近づく男、頭巾をかぶった取り持ちの女(たいていは老婆)を基本要素とするもので、フェルメールも初期にそのような作例を残している(図8)。
こうした娼家の情景の作例を知っていれば、テル・ボルフの作品のなかにも、同様の情景を扱ったものを見つけ出すのは容易である。たとえば《ギャラントな軍人》(図9)では、取り持ち女の姿こそ見えないが、軍人の手のひらには金貨が見える。また、「レモネードのグラス」と呼び慣わされてきた作品(図10)も、人物の組み合わせ、男が手にする財布(以前は手袋だと言われていた)から、やはり「愛の値段の交渉」を主題としていることは明らかである。
「レモネードのグラス」――この題名も、「父の訓戒」の場合と同じく、絵の真の主題が見失われた時期に考え出されたものである――とは、とんだ見当違いな題名であるが、しかし、そうした題名が絵の表現自体の雰囲気に合っていることは確かである。テル・ボルフの作品の場合、《父の訓戒》や《レモネードのグラス》など、娼家を描いたものでも、先例(図5~7)に較べると、露骨な表現が少なく、室内のつくりや人物の服装なども、上品で優雅な雰囲気を感じさせるのである。それは、あからさまなふしだらさを描き出した、同世代のメツーやミーリスの作品(図11,12)と較べてみれば、一層はっきりする。フェルメールでさえ、娼家の場面では人物たちの顔つきに卑猥さをはっきりと感じさせるのである(図8)。