この作品に表されているのが娼家の情景であり、娼婦の後ろ姿が、そのような閉じられた状況を物語っていることは確かとしても、他面、この白繻子の後ろ姿が、何よりも見る者の目を引きつける、
いわばチャームポイントになっていることも確かである。
この作品には、テル・ボルフ自身の手になるもう一点のヴァージョン(図29)のほか、弟子のネッチャーらによる同時代の模写や改作などが数多く存在する。その中に、ドレスデン絵画館所蔵の作品
(図30)のように、後ろ姿の女の部分のみのコピーがいくつも見受けられること、さらに、「手紙を読む女」というような主題に変更されているものもあることは、この後ろ姿が、すでに制作当時から、
主題とは関係なく、後ろ姿の美しさゆえに好まれていたことを物語っている。イギリスの画家ジョシュア・レノルズ――1781年にアムステルダムのヴァージョン(図29)を見ている――は、この作品を
ただ「白繻子の服を着た人」と呼んでいる。
この作品をただ「白繻子の服を着た人」と呼ぶのはいかにも大雑把なようであるが、作品の題目などというのは、せいぜいそのようなものである、と考えておいた方がよい。
さまざまな例外はあるが、美術作品の題名の多くは、最初から作品自体に付随しているものではなく、その作品を他の作品と区別する必要が生じたときに便宜的につけられたレッテルのようなものなのである。
このテル・ボルフの作品については、制作されてから数百年後に最初の記録が登場するが、そこには、「白繻子の服を着て立っている女。腰掛けている男。ワイングラスを口元にした女」と記されている
だけで、題名らしきものは見あたらない。これは、当時では当たり前のことで、以上の記述によって、この作品が他の作品と区別されるならば、それで充分なのである。
美術作品に関して、今日の私たちに親しいような形の題名が一般的になるのは、18世紀後半から19世紀前半にかけてのことであり、それには、版画による廉価な複製の大量流布、サロンなど公開の
展覧会の隆盛、公共の美術館の相次ぐ開設といった、美術の大衆化が関係している。不特定多数を観者として想定せざるを得ない、そうした新しい美術鑑賞の形が、簡潔明瞭な題名を要求したと考えて、
ほぼ間違いない。
このテル・ボルフの作品はまさにその典型的な例としてあげることができよう。つまり、「父の訓戒」という題名は、ドイツの版画家ヴィルによって原作が版画化された時に初めて付けられたものである。
そして、その版画(図31)が1767年のパリのサロンに出品されて大好評を博して以来、原作にもその題名が当てはめられ、有名になったのである。