もっとも、絵画というものが、美術の歴史の中で常にこのように、現実的な情景の全体的描写として捉えられていたわけではない。例えばデューラーに先立つドイツのゴシックの画家たちにとっては、絵画面は、情景全体の具体的な投影の場ではなく、個々の対象の形姿の抽象的な提示の場であった。同じ「1万人のキリスト教徒の殉教」という主題を扱った、1420年頃のケルンの画家の作品を例として見るならば(図13)、そこでは、まったく平面的で非現実的な地の上に、人物たちの姿のみがくっきりと浮かび上がっている。この画家にとっては、中心的な対象である人物以外の部分は、その環境としてではなく、それを引き立てるための地であればよかったのであり、四角い画面は、一つの現実的な情景としてまとめられるのではなく、人物たちとその地といった平面的な形態、色面の布置としてまとめられればよいのである。そのような画面の扱いは、基本的には先に説明したような版画のそれと同じ性格のものであり、ただそこに重要な要素として色面の対比、色面構成という要素が加わっているのである。しかしながら、デューラー時代のドイツ絵画には、主としてイタリア・ルネサンス絵画からの刺激のもとに、新たな課題が登場していた。それがすなわち先に述べたような、絵画は対象物の形態のみを描写するのではなく、その環境をも含めた現実的な情景全体を描写すべきであるという課題、対象物、とりわけ人体は、それを取り巻く環境、それを包む具体的空間の中に表さねばならないという、近世絵画の自然主義課題である。

 デューラーが、彼の活動の初期において、ゴシック絵画の伝統から出発しつつ、イタリアからもたらされたその新たな課題にいかに立ち向かったかということは、例えば、1498年頃の《キリストの十字架付け》や1500年頃の《キリスト哀悼》によく示されている。まず《キリストの十字架付け》(図14)を見ると、ここには、伝統と革新の入りまじる過渡期の様相が著しい。情景の現実性ということを考えてみると、まず人物たちの個々の姿――その身体の構造、姿勢――には、それをできる限り具体的に、現実的に描き出そうという努力がうかがわれる。人体を単なる平面的形態としてではなく、量塊として扱おうとする意図、そしてさらに、人物たちの間に現実的な空間的位置関係を与えてやろうとする意図は斜めに置かれたキリストと、キリストを十字架に付ける三人の人物の描写にはっきりと示されている。しかし、そのような現実性は、画面全体に行き渡っているわけではない。すなわち、人物以外の部分は――手前の岩や草などには現実的な描写も見られるが――緑の野も背景の山や空も、人物をその上にのせる平面的な地としての性格を捨て切ってはおらず、現実の環境として人物を包みこみ、画面を一つの空間としてまとめるには至っていない。それが特に著しいのは、青い衣を着けた聖母マリアを中心とする背後の人物群とその周辺の風景との関係で、そこでは人物群と風景は、現実としての結びつきをまったく欠き、単に色面と色面として並置されているにすぎない。人物どうしの結びつきにしても、前面の主人物群と背後の人物群との間の空間上の関係は不明瞭で、両者を眺める視点も、前者はかなり上から、後者は横からという具合に、はっきりと異なっている。画面を一つの情景として提示しておきながら、ここにはまだ、その情景全体をまとめあげる要素が欠落しているのである。こののちデューラーは、人物と人物、人物とその環境を結びつける、画面の統一要素を探ってゆくこととなる。

 1500年頃に描かれた《キリスト哀悼》(図15)は、その統一要素をピラミッド形構図に求めた例である。黄色い上衣を着けたヨハネを頂点として9人の人物を包括する大きな三角形は、画面に確固たるまとまりを与え、それと同時に、ある程度の空間の奥行きを生じさせている。すなわち、画面右手のアリマテアのヨゼフ(青衣)からマグダラのマリア(赤衣)、ヨハネへと続く三角形の一辺は、右手前から左奥への方向性を示し、キリストの足先から頭部への線がそれに並行する。その奥行きはさらに、中景に見える道や川の流れによって折り返され、遥か彼方、右上の海岸線へと深まってゆくのである。それに加えてここには、奥に行くにしたがって色調を薄く青っぽくしてゆくことにより空間の深まりを表す、空間遠近法も応用されている。しかし、注意すべきは、そのような空間表現の配慮にもかかわらず、画面は、人物たちのいる前景、都市のある丘、青味を帯びた遠景の山々、空と水面という、はっきりと区別されたいくつかの平面的層から成り立っているということであり、画面の統一は、情景としての空間的結びつきによってではなく、それぞれの層に繰り返される三角形の巧みな平面的組み合わせによって保持されているということである。ピラミッド形構図、空気遠近法という、おそらくイタリア絵画から学んだと思われる方法を用いつつ、デューラーがここで画面構成の基本言語としているのは、ドイツ的な色面構成、面と面の組み合わせによる画面の充足なのである。

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図13 作者不詳
《一万人のキリスト教徒の殉教》
1420年頃
図14
《キリストの十字架付け》1498年頃
図15《キリスト哀悼》1500年頃