《バウムガルトナー祭壇画》翼画、《アダムとイヴ》の系列に属するもう一つの代表作は、晩年、1526年の《四人の使徒》(図21)である。この作品において、人物たちの荘重な姿を浮かび上がらせる黒い地の使用法や、人物たちを枠いっぱいに収める画面構成法が、彼らの存在感をまざまざと伝え、あたかも彼らが直接われわれに相対しているかのような緊張感を生みだすのにどれほど役立っているかということについては、もはや言辞を必要とはすまい。ここでは、彼らの立っている場が具体的にどのような空間であるのか、あるいは、両幅の画面の空間的位置関係がどうなっているのか、ということはまったく問題とならない。ただ、彼らがそこに、われわれの前に存在する、というそのことだけで、この作品の意図は充分に尽くされているのである。

 肖像画に目を移すと、肖像画というものがそもそも、対象となるモデルの描写にのみ力を注げばよいものであることは明らかである。もちろん、肖像画においてもこの時代、人物の姿を一定の具体的情景の中に描くという傾向が生じており、デューラーもそれを試みたことは、《1498年の自画像》(図22)、《エルスベト・トゥッヒャーの肖像》(図23)などに示されているとおりであるが、デューラーの場合、それはごく一時期、1497年から1499年にかけてのみの現象で、その他の時期においては彼は、単色の地の上にモデルの姿だけを描き出している。彼にとって肖像画の最も重要な課題は、モデルの姿を不変のものとして留め、見る者の前にそれを常にまざまざと提示することにあったといえよう。そのために彼は、多くの場合、モデルの胸から上のみの姿を画面いっぱいに捉え、彼のもつ緻密な描写力を用いて、モデルの外貌のみならず、心の襞の一筋一筋まで、われわれの前に示そうとする(図24,25)。その際、画面その他の部分は、モデルの姿を浮かび上がらせる地として、その背後に留まるが、この部分がまったくの地、抽象的な平面として考えられていることは、そこにしばしば、装飾的な銘文、あるいは年記やモノグラムが描きこまれることからみても明らかである。ただひとつ、背後の地に、地として以上の意味があるとすれば、それは、この部分が作品に応じて、黒、灰色、茶色、赤、薄青色、緑、若草色と色合いを変えることにより、モデルの性格を強調する役割を担っているように思われるということである。

 デューラーの油彩画の聖母子像の多くは、彼の版画や素描における聖母子像よりも、いま見たような彼の肖像画に近い。というのは、彼の版画、素描における100点ほどの聖母子像の作例が、4、5点の例外を除いてすべて全身像であり、しかもその多くが戸外の情景の中に聖母子の姿を描き出しているのに対し、油彩画の作例は、イタリア絵画からの影響の顕著な何点か(図26,27)を除いて、いずれも、聖母を、肖像画のモデルと同様、胸から上の姿として単色の地の上に捉えているからである(図28,29,30,31)。それら油彩の聖母子像において意図されているのは、やはり肖像画の場合と同じく、描かれている対象、聖母子の存在を見る者にまざまざと感じさせること、見る者と聖母子を直接出会わせることであろう。そして、そのような表現は、版画の聖母子がどちらかというと観賞用という性格を濃くしているのに比べ、油彩の聖母子は礼拝の対象としての性格を保持している、ということに帰因すると思われる、礼拝像としての聖母子、つまり祈りの対象としての聖母子像は、現実の空間を超えて、われわれの前に直接その姿を現すべきものなのである。

  • 図26
    《窓辺の聖母子》
    (ハラー家の聖母子)1498年頃
  • 図27 《鶸の聖母子》1506年
  • 図28 《聖母子》
    1503年
  • 図29
    《切った梨のある
    聖母子》1512年
  • 図30
    《梨の実の聖母子》
    1526年
  • 図31
    《カーネーションの
    聖母子》1516年

 画家としてのデューラーの偉大な創造は、実体としての人間像そのものを、情景の描写という枠組みなしに、環境としての空間という設定なしに、われわれの前に提示したところにある。その提示の直接性においては、イタリアの画家も、ネーデルラントの画家も、デューラーに及ぶものではない。もちろん、そこに示された人間像がかくも確かな存在感を得るためには、イタリアの画家たち、ネーデルラントの画家たちの先駆的な仕事が必要であったのかもしれない。確固たる物体としての対象の緻密な描写を追及したネーデルラントの人々、有機的な物体としての人体の構造を追及したイタリアの人々、それら、北や南の人々の現実を見る確かな眼の仲介なしには、デューラーの人間像は生まれなかった、と言えるかもしれない。しかし同時に、デューラーの聖母子像の最も優れた作例であり、また最も非現実的な要素を持つ《カーネーションの聖母子》(図31)などを見ていると、デューラーの成し遂げたことの本質は、そのようなネーデルラントやイタリアからの刺激のもとに導き出されてきた、人間の現実的実体の提示ということそのことにあるのではなく、それを通しての人間の内実の提示ということにあったのではないかという気がする。そのような観点に立ってみれば、アダムとイヴにせよ、四人の使徒にせよ、多くの肖像画のモデルや聖母子にせよ、それらがわれわれに強く訴えかけてくる力は、その外面的存在を内側から形作っている精神の在り方から発してくるように思われるのである。デューラーの作品に表された人間の現実的な存在感は、それ自体のためにそれ自体によってあるのではなく、その内側の精神の在り方を示すために、内側から形作られているように思われるのである。そしてその際、絵画固有の手段である色彩が、精神の在り方の提示ということにそれほど大きな寄与をしているかは、多くの肖像画の背景の色彩の用い方や、《四人の使徒》の衣の色の対比や、《カーネーションの聖母子》あるいは《祈る聖母》(図32)の色彩配置を見れば明らかであろう。色彩が、単なる「彩り」としてではなく、作品における最も本質的な表現内容と深くかかわっていること、そのこともあって、これらの作品は、線描家デューラーには描き得ない、「画家デューラー」の最も優れた創造となっているのである。

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図21 《四人の使徒》1526年
図22 《1498年の自画像》1498年
図23
《エルスベト・トゥッヒャーの肖像》1499年
図24
《ヤーコプ・フッガーの肖像》1518年頃
図25
《ベルンハルト・フォン・レーゼンの肖像》
1521年
図32《祈る聖母》1518年