I. 回顧

 1905年10月18日にパリのグランパレで開幕した第3回サロン・ドートンヌは20世紀美術の出発点をしるすものであった。次から次へと大胆な革新を掲げて前衛の舞台に現われてくる20世紀のさまざまな 「イズム」の最初のものとして、ここに、あの「フォーヴィスム」が衝撃的にデビューしたのである。1874年に印象派の画家たちが登場してから30年、彼らによって先鞭をつけられた現代美術の展開は、 後期印象派を経て、いまや全く新しい世代のさらに過激な試みへと引き継がれてゆく。

 その数ヶ月前、ドレスデンにおいて数人の若者たちが、やはり現代美術の歴史の中に一つのくっきりとした刻印をしるしていた。1905年6月7日、ドイツ表現主義の最初にして、最も代表的なグループ 「ブリュッケ」が結成されたのである。

 パリとドレスデン、フランスとドイツにおけるこの二つの出来事の間に何らかの関連があるのだろうか? この二つの出来事を出発点とするフランスのフォーヴィスムとドイツの表現主義との間に、一体 どのような関係があるのだろうか? 時代を共有するのみならず、強烈な色彩の使用、対象の形態の大胆なデフォルメ、激しいタッチ、といった表現上の特徴を共有するこの二つの運動は、一つの流れに属すも のなのだろうか? たとえば、20世紀初頭までの肖像画の常識から大きく逸脱した、マティスの《マティス夫人の肖像(緑の筋)》(図1)やヴラマンクの《ドランの肖像》(図2)といったフォーヴの作品と、 シュミット=ロットルフの《自画像》(図3)あるいはヴェレフキンの《自画像》(図4)といったドイツ表現派の作品との間には、どのような関係があるのだろうか? それらは同じ流れの二つの地域におけ る現われだったのだろうか?

 かつて、この二つのイズムが終息をむかえかけたころ、この問題が論じられたことがあった。しかし、それは、もっぱらドイツの側においてであったし、また特殊な精神的意味合いにおいてであった。 美術における「先進」たるフランス人は、例によって、「後進国」ドイツにおいて何が起こったか、何が起こっているかについては全く無関心であった。そして、そうしているうちに、ドイツにおいても、 この二つのイズムは、それに続く多くの革新的な運動ともども、「頽廃芸術」として――言うまでもなくナチスの手によって――葬り去られてしまった。

 20世紀の最初の20年ほどの間に急激に展開した美術の革新に関する総決算は、第二次大戦後、1950年頃から、回顧という形で行なわれた。20世紀の最初の世代、すなわちフォーヴィスムと表現主義の 画家たちの多くは40年代、50年代に相次いで没しているが、彼らの生と制作の終焉に続いてやってきた回顧は、彼らの芸術の形成過程とその意味を再び人々に考えさせる機会を与えた。彼らの芸術は、戦後 の新世代の画家たちに対して新たな意味合いを持って影響を及ぼすと同時に、他方、美術史的パースペクティヴの中で、正当に考察され、位置付けられるようになってきたのであった。

 フォーヴィスムについての本は、戦中に出たディールのもの(1943)の後、1950年頃から、デュテュイ(1949)、ミュラー(1956)、サルモン(1956)、そして名付け親たるヴォークセルのもの(1958)な どが相次いで出版され、また、代表者であるマティスに関しても、バーの『マティス』とディールの『マティス』という基本的な研究書が、1951年と1954年に発表された。そのような研究の進展と並行して、 回顧展もこの時期に次々と開かれている。個々の画家の回顧展は別として、フォーヴィスム全体についての展覧会だけを見ても、1950年、ベルンのクンストハレ、1951年、パリの近代美術館、1953年、ニュー ヨーク近代美術館とトロント美術館、という具合に続いているのである。

 そのような状況は、表現主義についてもほぼ同様であった。展覧会について見れば、1949年(ミュンヘン、ハウス・デア・クンスト)、1950年(バーゼル、クンストハレ)、1960年(ロンドン、テート・ ギャラリー)の「青騎士展」、1958年(エッセン、フォルクヴァング美術館)の「ブリュッケ展」などが挙げられるし、研究書としては、やはり50年代に、セルツの『ドイツ表現派の絵画』(1957)、メイヤ ーズの『表現主義』(1957)、ブーフハイムの『ブリュッケ』(1956)と『青騎士』(1959)、グローマンによる『カンディンスキー』(1958)など多くの基本的著作が発表されたのである。50年代というの は、回顧と、そして、カッセルのドクメンタの開始(1955)に象徴される、過去を踏まえた上での新たな展望の時代であった。

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図1 マティス
《マティス夫人の肖像(緑の筋)》
1905年
図2 ヴラマンク《ドランの肖像》1906年
図3 シュミット=ロットルフ
《自画像》1906年
図4 ヴェレフキン《自画像》1910年頃