版画印刷というのはひとつの奇蹟のようなものだと、僕にはいつも思えた。一粒の種から小麦の穂が育つような、そういう奇蹟のようだと。毎日の日常的な奇蹟で、しかも毎日起こるのだから、一層偉大だ。石の上に、あるいは銅板の上に一つの素描が種播かれ、そこから多くのものが収穫される。
(書簡277:1883年4月)

いつも思うのだが、小説本の置いてある本屋の黄色や薔薇色のショーウィンドーをいつか描いてみたいという気がする。夜で、通行人の黒い姿がある。それは、本質的に現代的なモティーフだ。なぜなら、それは、比喩的な意味で、光の源のようなものだから。いいかい、これは、オリーヴの果樹園と小麦の畑の間に置くとぴったりのモティーフになるだろう。本の種播き、版画の種播きだ。そんなふうに、暗闇の中の光のようなものを作り出したいという気がするのだ。
(書簡615:1889年11月)

 上に引用した最後のものには、現代社会に光を与えるものとしての「芸術の種播き」という考え方も表明されている。そして、さらに、その種播く人の行為が「永遠」、「無限」への憧れとつながっていることは、ベルナール宛の手紙の中の次のような言葉にうかがわれる。

正直のところ、僕は田舎が嫌いではない。僕はそこで育ったのだ。心の中に突然浮かび上がる昔の思い出や、あの無限のものへの憧憬 ----------- 種播く人や麦束はその象徴なのだが ----------- は、いまでも僕を魅了するのだ。
(書簡B7:1888年6月)

ベルナール宛の手紙の中には、「種播く人」との関連において注目される、次のような発言もある。

僕が考えるようにキリストの姿を描いたのは、ドラクロワとレンブラントだけだ……それから、ミレーは……キリストの教えを描いた。[………]
ただキリストだけが、すべての哲学者や魔術師などの中で、永遠の生命、時間の無限、死の無意味、平穏と献身の必要性と理由などを、根本的な確かさをもって主張したのだ。キリストは、あらゆる芸術家よりも偉大な芸術家として、大理石や粘土や絵具を退け、生きた肉体によって仕事をしながら、穏やかな生を送ったのだ。つまり、この驚くべき芸術家は、[………]彫刻も絵画も制作しなかったし、本も書かなかった。[………]この偉大な芸術家、キリストは、観念(感覚)に基づいて本を書くことは軽蔑したが、しかし、話す言葉は決してそれほど軽視してはいなかった――とりわけ譬え話はそうだ。(種播く人、刈り入れ、無花果の譬えの、なんと見事なこと!) (書簡B8:1888年6月)

 以上のようなゴッホ自身の発言と作品自体の分析とを付き合わせた結果、研究者たちが到達した結論について、次にいくつかの代表的な発言を挙げよう。

アルルにやってきた時、神の言葉を「種まく人」になりたいという彼の夢はすでに挫折していた。しかし、伝道師をやめたとしても、伝道活動をやめたわけではないことは、すでに指摘した通りである。アルルにやって来た夏にたて続けに描かれる何点もの《種まく人》は、画家として、絵筆によって神の言葉を人々に伝えようとする彼の理想の表現であったろう。[………]注目すべきは、ここ[書簡B8]でキリストが「芸術家」として捉えられていることである。言うまでもなくそれは、キリストに憧れる「芸術家」ゴッホの心の表われである。夏から秋にかけて《種まく人》を描いたのは、ちょうどゴーギャンを迎えるために《向日葵》を描いた時期と重なっている。ゴッホは、高揚した気持ちで、自己の理想を夢見ていたに違いない。(註6

種播く人の姿はゴッホにとって、「あの無限のものへの憧憬」を体現するものであった。その姿は、自らを種播く人に譬えたイエスを思い出させた。自らの芸術的な活動を農民の畑仕事になぞらえたゴッホは、さらに一歩進んで、自分自身を種播く人と関連づけた。ゴッホにとって種播く人は、表現と自己確認の原型的人物像であり、永遠の再生、繰り返される新生を保証する者であり、その意味において、自然の中でその重要な対となるのが「太陽」であった。(註7

伝道師としての画家 ----------- 言葉の種播き人、闇を照らし出す者 ----------- というのが、常に、芸術をめぐってのゴッホの思考の中心にあった。いくつかの例外を除いて専ら様式的なことに関心を集中していたパリ時代の後、いまや[アルルにおいて]、そのような考えが再び表面に浮かび上がってきた。それは、ヴァーグナーを通しての再確認を伴っていた。この音楽家は自らの音楽を、伝統的な宗教の不毛と精神的な復興の必要性に対する喚起を促すものと考えていた。彼は未来の芸術を慰めの福音とし、ブノワは彼を説教師と呼んだ。ゴッホの「種播く人」は、芸術作品として、そして芸術家の模範として、同様の意図を表わしている。「種播く人」は、未来の芸術とその福音のイメージに他ならない。(註8

 以上のように、美術史家たちは、ゴッホの「種播く人」を、基本的にはオーリエの理解したのとほとんど変らぬものとして解釈したのであるが、その際、彼らは、その美術史的な分析方法の成果として、より具体的な3つの視点を提示した。第一に、「種播く人」における色彩の重要性の考慮、第二に、他の主題(とりわけ「刈り取る人」)との関連の中での「種播く人」の位置づけ、第三に、図像的伝統の中でのミレーの《種播く人》との関連の指摘である。

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註6:
高階秀爾『ゴッホの眼』、青土社、1984年、pp.137-138。

註7:
Wulf Herzogenrath, Dorothee Hansen(ed.), Van Gogh: Felder, exhib.cat., Kunsthalle Bremen, 2003, p.130。ここに引用した作品解説の部分は、Dorothea Hansen が執筆。

註8:
Druick/Zegers 前掲書(註2), p.116。ここで言及されている「ブノワ」とは、Camile Benoit, Richard Wagner: musiciens, poètes et philosophes, Paris, 1887 のことである。ゴッホがこのブノワの著作を読んだことは、書簡494、542 からうかがわれる。「ヴァーグナーについての評論を読んだ。「音楽の中の愛」というものだ。[………]絵画においても同じことが、実に必要なのだ」(書簡542)。ゴッホが、それに続いてトルストイの『わが宗教』に触れ、トルストイの「新しい宗教」について、「かつてキリスト教がそうであったのと同じように、人々を慰め、良き生をもたらす力を有するらしい」と述べているのも、全く同様のコンテクストの中で理解される。