扇形の枠の内側には、五代目市川団十郎(挿図11)や三代目瀬川菊之丞など天明年間(一七八一〜八九)の人気役者の半身像が一人一図ずつに描かれ、その似顔表現が時代の写実性愛好の風潮に応えて、大いに歓迎されたらしい。その画面に空摺(からず)りによる直線が刻まれており、この折り筋の通りに折って木の才槌(さいづち)で叩(たた)いたあと、上下を揃え、長さ六寸(約一八センチメートル)に切って、古い扇の骨の片面にだけ張り付ければ、当座の間に合わせになるというのである。それ以外に、屏風や襖の張り交ぜにも使えると付記している辺りも、版元岩戸屋の商魂はたくましい。

 屏風や襖への張り交ぜといえば、それ専用の「貼交絵(はりまぜえ)」というものもあって、とくに歌川広重が好んで描いている。たとえば東海道五十三次の全五十五駅を十四図にまとめた「東海道張交図会」や、全国の名所風景や名物、故事などを十八図に描き分けた「国尽張交図会」、あるいは浄瑠璃(じょうるり)に取材した「交張(まぜはり)浄瑠璃鑑(かがみ)」と、見応えのあるシリーズ物を少なからず残している。主題や図様の多彩と、画面の枠取りの変化に、広重の機知が巧みに働いていて、張り交ぜのために切り抜いたり、襖などの破れをつくろう実用面での効能から放れても、マルチ画面の響き合いが別種の視覚的喜びを与えてくれて楽しい。この形式の版画が各種企画されたということは、よほど一般の人気が高かったからなのだろう。

 以上のほかにも、疱瘡(ほうそう)すなわち天然痘の流行病に子供がかからないようにと、赤摺りの錦絵「疱瘡絵」が需められたり、変わったところでは歌川国芳の描いた「鼠よけの猫」(挿図12)という、人を喰った版画一枚絵も出版されている。この絵の主人公のまるまると太ったぶちの猫は、国芳が飼っていた愛猫で、猫好きで知られた彼の絵にしばしば登場しているが、今回は耳を立てて天井を睨(にら)みつける勇姿のみが堂々と描き出されている。その上方に書き付けられた文章がまた愉快だ。


此図は猫の絵に妙を得し一勇斎(国芳の号)の写真の図にして、これを家内に張(はり)おく時には、鼠もこれをみればおのづとおそれをなし、次第にすくなくなりて出(いづ)る事なし。たとへ出るともいたづらをけつしてせず。誠に妙なる図なり。


 まじないのための絵も、俗信が大手を振って横行していた江戸時代には、実用の絵画に入れられる資格十分だったわけである。


古典の変奏

◉…見立てとやつし

 浮世絵版画に本来書き込まれた画題に、「見立て」とか「やつし」とかの用語が付けられている例を見かける。「略」とか「風流」と冠せることもある。いずれの場合も、本来あるべき時や場所や状況(いわゆるTPO)を変えて、ある物や人、事を、別な物、人、事になぞらえて表わす主題操作が加わった絵を意味している。そうした傾向の絵を総称して「見立絵」といっているが、浮世絵には存外この種の作例が多い。

 見立絵は、昔を今に、貴いものを卑しいものに、まじめなことを滑稽になど、内容の落差を大きく転換した機知的な操作が、一般的により楽しまれたものであった。

 たとえば、鈴木春信の代表作として知られる「坐鋪(ざしき)八景」の初版には、包紙が付属しており、標題に冠せて「風流絵合(えあわせ)」の四文字が記されている。本来は中国の水墨画の主題として知られる瀟湘(しようしよう)(瀟水と湘水が洞庭湖に注ぐ辺りの景勝地)八景になぞらえて、台子棚(だいすたな)の釜の湯に「夜雨」の音を聞いたり(カラー図版18)、琴柱(ことじ)の列に「落雁」を連想したり(カラー図版20)と、江戸の町の女性たちの座敷内での日常生活を描いて、全八図の揃物としているのである。モノクローム(単色)の水墨画の、しかも洞庭湖周辺の広大な自然の諸相が、ポリクローム(多色)の色摺り版画によって、当世風の市井の室内(一図のみが戸外の図)にくり広げられる色っぽい婦女子の諸態に変換されている。古典は今様に、幽邃(ゆうすい)な雅(みやび)やかさは艶麗な生々しさにと、八景は八景でもがらっと趣きが変わっている。その趣向の大胆な飛躍こそが、この名作を主題面で先ず成功させているのである。

 こうした見立てとやつしの操作の妙は、実は絵師春信の功に帰せられるものでなく、先の包紙や各図に名を記す城西山人巨川(きよせん)こと、旗本の大久保甚四郎忠舒(ただのぶ)という人の企画によるものであった。古典への教養を身につけた高位の武士が、江戸座俳諧という滑稽を旨とした俳諧に親しみつつ、こうした洒落っ気に富んだ版画を私費で制作したわけであった。見立絵には、元来俳諧方面でつちかわれた雅俗転倒の機知に遊ぶ遊戯精神が、たっぷりと注ぎ込まれているのである。

<< 前のページへ 次のページへ >>
挿図11
挿図12