とはいうものの、ルーベンスは自分で版刻を手がけることにはあまり積極的ではなかったようだ。もちろん、エングレーヴィングは多年にわたる専門的な修業を必要とする困難な技術であって、画家がおいそれと手を出せるものではないが、エッチングなら話は違う。しかし、ルーベンスの版刻になると今日ほぼ確実に認められているエッチングは3点しかない。結局、ルーベンスは版画を油彩画とは別の表現意欲を満たしうる媒体とは考えていなかったということなのであろう。この点が一世代あとのオランダのレンブラントとは大いに異なるところである。それでも、ルーベンスのエッチング(エングレーヴィングの技法を用いた仕上げはポンティウスによるらしい)には、光の輝かしさや闇の深さをそれぞれ強調したり、明暗の微妙な推移によって形態を柔らかく浮かび上がらせたりといった、エッチングの「絵画的」効果を駆使した画家らしい表現が感じられ、ルーベンス工房の他の版画とはまた別の魅力がある。3点のエッチングのうち、《セネカの胸像》は、古代ローマのストア派哲学者の像とされる古代彫刻を写したもの(ルーベンスはセネカの思想に傾倒し、この彫刻も彼自身が持っていた)、《聖カタリーナ》(図17)はアントヴェルペンのイエズス会教会の天井画(1621年制作、現存せず)に基づく。《蝋燭を持つ老婆と少年》(図18)はドレスデン美術館の《火鉢を持つ老婆》を構図の出発点にしているが、版画化にあたって、教訓を伴う風俗画的情景として構想しなおされている(ドレスデンの作品は、元来は独立した風俗画ではなく、神話的人物の登場する寓意画から切り取られたものである。切り取った部分を第三者が補って主題を変更した原作は、現在ブリュッセル王立美術館にある)。ルーベンスの筆跡で試し刷りに書き込まれ、版画の銘文とされたラテン語の教訓は、およそ次のような意味になる。「蝋燭から蝋燭へ火を移すこと、誰がこれを拒めよう? 千人が火をとっても火は少しも減りはしない」。さまざまな解釈を施しうる言葉だが、世代の交代を通じた生命の継承という意味が含まれているのは疑いないところであろう。ルーベンスの弟子パネールスは、この版画を踏まえて「世の成り行き」という題の版画(図19)を制作している。
ルーベンスの没後も、彼の油彩画の複製版画は盛んに制作された。取り上げられる作品の主題も多様になり、制作地も拡大してゆく。しかし、ルーベンスの監督を離れた版画には、原画からもかなり離れたものが散見される。ルーベンス工房の代表的版画家の一人だったポンティウスでさえ、形態把握や構図の点で原画(図20)とは大幅に異なった版画(図21)を作るようになり、技術も明らかに落ちている。ルーベンス工房の版画制作において、ルーベンスの役割がいかに本質的なものであったかを証する事実といえるだろう。時代が下るにつれ、版画をもとにした版画、版画を改作した版画も増えてゆく(No.22と84)(図22と23)(註7)。ルーベンスの立場から見れば、これらは到底許しがたい著作権の侵害になるわけだが、このような怪しげな作品も含めて、ルーベンスに基づく版画が途絶えることなく制作されたのは、彼の不動の人気を裏付けるものである。ゲーテもルーベンスの芸術を愛した一人だった。かつてイタリアに遊んだ折り、彼はピッティ宮の《野良帰り》を見ていたはずである。80歳を目前にしたゲーテは、版画を唯一のよすがに40年前に見たルーベンスの原画を想起し、あわせて二度と訪れることがないであろう「レモンの花咲く国」に思いを馳せていたに違いない。
※ (本稿は1988年に町田市立国際版画美術館と北九州市立美術館で開催された「ルーベンスの版画展 ----------- ルーベンス工房の版画家たち」のカタログに掲載したものだが、WEB上での公開にあたり、本文に多少手を加えるとともに、注を付け、図版を追加した。)
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