東郷採炭所巻櫓より千金寨の遠望






 満鉄は、1907年から千金寨と呼ばれた撫順の一地区に総面積79ヘクタールの市街地建設をおこなった。満鉄特有の格子状街路に斜路と円形広場を組み合わせる街路構成をもち、満鉄社員用の住宅はもちろん、撫順炭坑の行政を担当した炭礦事務所をはじめ、学校、病院、公会堂、郵便局、といった公共施設が立ち並んでいた。
 1915年の大規模な露天掘の採用を通じて採炭効率は向上し、採炭量もうなぎ昇りに増加した。その間、満鉄がこの撫順炭坑での採炭に力を入れたことを示す最大の事例は、市街地の移転である。満鉄は、撫順の千金寨地区に大規模な都市建設をおこない、市街地建設開始からの10年間で人口2万4000人弱の都市を作り上げた。
 ところが、この千金寨市街地の真下に有力な炭層が確認されると、1919年、満鉄は、採炭を優先するため、千金寨市街地を放棄して、千金寨より北東に位置する永安台に新たな市街地を建設することを決した。





bujun_geore_064:
(撫順)東郷採炭所巻櫓より千金寨の遠望


東郷採炭所巻櫓から撮った写真。目の前には大きな巻き上げ機が立っている。右側には鉄道を走る列車、奥には千金寨の市街地が写っている。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)