炭礦倶楽部






 公会堂と倶楽部は、支配者である日本人が、その土地に日本人社会を形成するための施設でもあった。満鉄は、本社のあった大連はもとより、満鉄沿線の鉄道附属地に社員のための倶楽部を設けていった。それらはいずれも多人数を収容するホールや集会室を持ち、余暇活動の場としての役割を果たすための読書室、華道や茶道のための和室、柔道・剣道のための道場を備え、また社交場として、食堂、球戯室、バーを設けていた。





bujun_geore_082:撫順炭礦倶楽部


撫順・永安台に1924年竣工。宿泊施設を備えており、ホテルとして使われた時期もあった。写真では、炭礦倶楽部の前に馬車が走っていて、右奥に煙を吐き出している煙突が写っている。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


bujun_geore_086:撫順炭礦倶楽部


道路向かい側の公園から炭礦倶楽部を撮った写真。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)