もともと城壁に囲まれた撫順の町は渾河の北側にあった。炭鉱が渾河の南側にあったことから、新市街は川の南側に新しく作られることになる。その両者を結ぶ橋が永安橋で、日本人は「ながやすばし」と呼んでいた。
当初、撫順で渾河を渡る橋は簡易的な木造の橋や浮き橋であった。ここに本格的な橋が架かるのは1907年のことであった。撫順知県(県の長官)の程廷恒が「永慶安瀾」(河が氾濫しないように永遠に安泰であることを願う)の意を込めて「永安橋」と名付けたという。1932年に満鉄は中東鉄道の廃材を用いて鉄筋の橋梁に架け替えた。
bujun_geore_002:撫順渾河永安橋
写真に写っている橋は起伏のない長い鉄骨の橋であることから、1932年以降に撮影したものと思われる。
古絵はがき(表) |
古絵はがき(裏) |
bujun_geore_040:(撫順)冬の永安橋全景
bujun_geore_002とやや違う角度から撮影したもの。
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