大山坑






 1907年より開鑿(かいさく)を始め、1911年より営業採炭を始めた。大山坑という名前は、日露戦争時の参謀総長で満洲軍総司令官を務めた陸軍大将大山巖にちなむ。
 坑内掘の代表的なもので、明治40年、竪坑の開鑿にかかり、44年に完成した。竪坑の深さは376m、全坑道の長さは48qに及ぶ。坑内は電灯もあれば、電車も走り、事務所も食堂もあり、文字通りの地下街を形成している。大山坑の出炭量は、一日約2500トンで、全撫順の10%にあたり、ここで働く満洲国工人は、2000名に達していた。





bujun_geore_033:(撫順)大山坑の壮観


写真の奥には高い一本の煙突と二台の巻揚げ機が見え、建屋の手前には運搬用の鉄道に大量の炭を積んだ貨物列車が見える。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


bujun_geore_063:(撫順)炭量夥しき大山坑の壮観


写真の奥に大山坑の建屋、巻き上げ機、煙突が見えて、手前には鉄道と列車、そして街路樹が並ぶ道路が写っている。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)