大連医院






 大広場からみて東南方向、大和ホテルと大連市役所(dairen_geore_011参照)の間の通りにある薩摩町の坂を登っていくと、そこには巨大な総合病院が聳えていた。満鉄大連病院である。1925年に竣工し、東洋一の病院と謳われた。当初は帝政ロシア時代に建てられた病院を利用していたが、大連市の人口増加にともない、病院全体の新築が計画され、1912年に当時建築係長であった小野木孝治が設計を依頼された。小野木は半年にわたる欧米視察のすえ、ベルリンのフィルヒョウ病院を参考に設計図を完成、工事を始めたが、第一次世界大戦の影響で工事が中断する。1921年に満鉄は再び建設計画を立て、改めて小野木に設計を任せたが、当時の満鉄社長・早川千吉郎(1863〜1922)は独断で大連医院の設計と建築をアメリカの建築会社・フラー社に委託してしまった。翌年、フラー社は建築技師を派遣、工事を開始したが、中国人・日本人・朝鮮人が入り乱れて働く現場をコントロールしきれず、契約を解除して帰国してしまった。満鉄は残りの工事を長谷川組と高岡久留工務所に依頼。以上のような曲折を経て、1925年、ようやく大連医院は完成した。現在は大連大学付属中山病院となっている。





dairen_geore_002:工費六百萬餘完備セル東洋一ノ大連醫院


 葉書に映る手前の道は薩摩町通りで、奥に聳えているのが大連病院である。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_052:大連醫院


 葉書は南方から病棟を描いたものである。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_053:大連醫院


 葉書は正面から描いたものである。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_054:大連醫院


 葉書は東側から描いたものである。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_065:
完備せる大連の大連醫院(工費六百万圓余)


 葉書は正面から描いたものである。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_143:大連新築の滿鐵醫院


 葉書は大連医院を東南方向上方から撮影したものであろう。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)