大広場






 大連大広場は帝政ロシア時代、都市建設の総責任者・サハロフ(1860~1904)によって、ダーリニーの心臓部とするべく建設された直径213mの円形の広場である。設計にはパリのエトワール広場(現在のシャルル・ド・ゴール広場)が参考にされているという。当初は、皇帝・ニコライ2世(1868~1918)の名にちなみ、ニコライフスカヤ広場と名付けられた。日露戦争が終わると、1905年、大連大広場と改名される。ここを起点に山縣通り、薩摩町、播磨町、大山通りなど10本の幹線道路が放射状に延びている。また大広場の周囲には、大連民政署(dairen_geore_020)、朝鮮銀行大連支店、関東逓信局、横浜正金銀行大連支店、東洋拓殖大連支店、大連市役所(dairen_geore_011参照)、大連ヤマトホテル(dairen_geore_055参照)など、日本による植民地支配の象徴となる建物が軒を連ねていた。
 広場の南方には、大連ヤマトホテルを背に、横浜正金銀行大連支店の方を向いて、初代関東都督・大島義昌(1850~1926)の銅像が北方やや西向きに立っていた。この立像は1914年7月、「大山元帥騎馬像」などの作品で知られる彫刻家の新海竹太郎(1868~1927)の手によって制作された。除幕は大島義昌63歳の誕生日にあわせて行われ、同じ時に広場には63本の雑木が植樹された。大連が「解放」されると、この像はすぐに撤去された。作家の清岡卓行(1922~2006)は終戦後3年の間大連にとどまったが、「私は銅像が取り除かれる現場は眼にせず、あとになって、その場所が大きな穴になっている様子だけを眺めた。その穴のなまなましい喪失の形は、象徴的に、日露戦争が大連の日本人の生活の前提であったことを、改めて深く実感させたのであった。」と感慨を洩らしている。今、銅像の台座は旅順刑務所に保存されているが、本体部分は行方不明である。大広場は日本の敗戦後「中山広場」と改称され、現在に至る。「中山」は中国建国の父・孫文(1866~1925)の号である。
 大連大広場は大連建設当初から存在する大連のシンボルであり、それだけに時の市政府は広場の美観をいかに保つか、いかに時代の流れに即応した空間を演出するかに注意を払った。終戦後から文化大革命の終結にかけて、大連市政府は五度にわたって広場の改修に手をつけたが、依然として都市景観の美化と都市交通の要衝としてのガーデンの域を出ることができなかった。文化大革命が終結し、鄧小平(1904~1997)によって改革開放路線が取られ、「実事求是」と「思想解放」が宣言されると、市政府は市民にとってより機能的かつ快適な空間の創造を目指し、改修に取りかかった。1984年の改築では、中心に設けられていた池を噴水に改造、噴水の周囲には8つの花壇を、その外側には12の植え込みを設け、そのなかにパーゴラ(テラスの上部に組む棚。藤棚のようなもの)や管理亭を建て、ガーデンライトやベンチを設置した。これは西欧の「広場の文化」に中国の伝統的庭園建築の要素を取り入れ、より美しく快適な環境を作ることをコンセプトとしたためである。しかしながら、広場上に多くの人工物が置かれることにより、広場が本来有していた広々とした開放的な雰囲気を損なう嫌いがあった。90年代に入り、経済が発展してくると、都市の環境保護が市民の念頭に上ることとなり、市政府は「三年の間努力して、大連を緑化しよう」(大干苦干三年,基本绿化大连)、「三年の間大いに努力を続けて大連を緑化しよう」(继续大干三年,绿化美化大连)といった段階的目標を設け、生活環境の改善に取り組むようになる。それに伴い、1995年、中山広場も大規模な改修を経ることとなった。まず広場のパーゴラ、噴水といった余計な人工物を撤去した。さらに東西南北の四方向に黒色の花崗岩を線上に埋め込むことで、広場の空間を四分割し、中心部には花崗岩で円形の台をしつらえ、それを取り囲むように8つの芝生の小エリアを設け、その外側には4つの芝生の大エリアを設ける。芝生にはヒマラヤスギ、カイヅカイブキ、イチイなど142種類の樹木を植えた。2000年には中山広場の東西を結ぶ地下道が完成し、通行をスムーズにしただけでなく、広場の見晴らしをよりよいものとした。





dairen_geore_016:大連大廣塲


 写真は大広場の南方、大連ヤマトホテルから北方、横浜正金銀行方面を望む。正面にあるドーム型の屋根の建物が横浜正金銀行である。正金銀行左手から後方に伸びる通りは遼東ホテルなどがある大山通り、右手に伸びる通りは奥町である。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_004:大連大和ホテル屋上ヨリ見タル大連市街 其一 旅順要塞司令部許可濟


 大連ヤマトホテル屋上から大広場を四分割にしてパノラマ撮影したもの。その一枚目。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_005:大連大和ホテル屋上ヨリ見タル大連市街 其二 旅順要塞司令部許可濟


 大連ヤマトホテル屋上から大広場を四分割にしてパノラマ撮影したもの。その二枚目。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_006:大連大和ホテル屋上ヨリ見タル大連市街 其三 旅順要塞司令部許可濟


 大連ヤマトホテル屋上から大広場を四分割にしてパノラマ撮影したもの。その三枚目。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_007:大連大和ホテル屋上ヨリ見タル大連市街 其四 旅順要塞司令部許可濟


 大連ヤマトホテル屋上から大広場を四分割にしてパノラマ撮影したもの。その四枚目。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_021:大連大廣塲


 大連ヤマトホテル屋上からの大広場の眺望。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_037:大連中心大廣場ノ偉觀


 大連ヤマトホテル屋上からの眺望。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_045:
巨厦屛立輪奐の美を添ふる大連市中央大廣場の美觀


 大連ヤマトホテル屋上から大広場を撮影。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_055:大連の中心大廣場大和ホテル玄關より朝鮮銀行を望む


 絵葉書はヤマトホテル玄関から大連民政署(dairen_geore_020参照)とその右手にある朝鮮銀行大連支店を望むものである。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_057:
小公園を想はしむ大連の中心地大廣場の壯觀


 大連ヤマトホテル屋上から大広場を撮影。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_086:大連の大廣場


 大広場の空撮。右下の建物が大連ヤマトホテル。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_077:大連大廣塲


 大連ヤマトホテル屋上からの眺望。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_117:
City of Dairen - Panoramic View from Yamato Hotel Roof Garden (4)


 ヤマトホテル屋上からの大広場のパノラマ撮影。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_118:
City of Dairen - Panoramic View from Yamato Hotel Roof Garden (5)


 ヤマトホテル屋上からの大広場のパノラマ撮影。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_119:
City of Dairen - Panoramic View from Yamato Hotel Roof Garden (5)


 ヤマトホテル屋上からの大広場のパノラマ撮影。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_124:
No 3. Centre of City, showing Dairen Harbour and Breakwaters.


 ヤマトホテル屋上からの大広場のパノラマ撮影。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_125:
No 3. Centre of City, showing Dairen Harbour and Breakwaters.


 ヤマトホテル屋上からの大広場のパノラマ撮影。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_126:
No 3. Centre of City, showing Dairen Harbour and Breakwaters.


 ヤマトホテル屋上からの大広場のパノラマ撮影。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_148:
No 3. Centre of City, showing Dairen Harbour and Breakwaters.


 ヤマトホテル屋上からの大広場のパノラマ撮影。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)