露西亜街






 大広場から北西、関東州逓信局と横浜正金銀行大連支店の間の大山通りをまっすぐ進み、日本橋を越えると、そこには通称「露西亜町」と呼ばれる町があった。これは乃木町、兒玉町、山城町などの一帯を広く呼ぶ呼び方で、正式名称ではなく、大連在住の日本人が用いた通称であった。ここは帝政ロシアがダーリニー(ロシア統治期の大連の呼称)の建設を始めた時、最初に建設された市街地である。





dairen_geore_012:大連露西亜街海岸


 露西亜町を抜けると海で、そこには大山埠頭(俗に「露西亜町の波止場」と呼ばれた)があり、常時おびただしい数のジャンクが停泊していた。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_022:大連兒玉町通


 兒玉町通りは露西亜町の中心を成す道路である。写真中、通りの最奥にかすかに見えるのはロシア統治期のダーリニー市役所で、日本統治時代には満鉄の所有になり、満鉄本社、ヤマトホテル、滿蒙資源館、満洲資源館などに転用された。また右端に見える建物は東清鉄道汽船会社。日露戦争後は大連倶楽部や満鉄日本橋図書館として使用された。兒玉町通りは現在「俄羅斯風情街」(ロシア風情街)と名を改め、欧風建築を保存する通りとして観光地化されている。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_026:波止場に群るゝ


 大山埠頭の様子。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_070:ジヤンク貿易港大連北海岸の盛觀


 大山埠頭の様子。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_081:大連露(西:書き込み)亞街


 滿洲資源館前広場から児玉町と山城町を撮影したものか。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_088:大連名所 兒玉町


 露西亜街の入り口である。奥に伸びるのが児玉町通り、その突き当りに見えるのが満蒙資源館である。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_107:ジヤンク貿易港大連北海岸の盛觀


 大山埠頭の様子。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)