中央公園






 中央公園はその名の通り大連のほぼ中央に位置し、敷地20万坪を有した大連最大規模の公園である。かつて「西公園」と称されていたが、1926年、都市開発により大連市が西側に拡大すると中央公園と改められた。元来は西青泥洼村といい、現地住民の住居が点在する場所であったが、ロシア統治時代に造園が決定され、猿や虎の檻などを設えた。その当時、ロシア側が捕らえた日本の女性軍事探偵を同公園で飼っていた虎に食わせたという伝説があり、その檻も保存されていたことから、後に「虎公園」とも呼ばれた。同公園にはアカシアを始め、柳、桃、藤等の樹木が生い茂り、来訪者の目を楽しませた。園内にはテニスコート、乗馬場、スケートリンク、弓道場、野球場などのスポーツ施設や植物園、音楽堂、料亭などがあった。背後の山嶺を緑山といい、その麓には日清日露戦争の戦死者を弔う忠霊塔が建てられていた。忠霊塔は1926年の建立である。緑山に上ると、大連市街を一望することができた。戦後、中国共産党はソ連の十月革命を記念して、1947年11月1日に名称を「レーニン公園」に改め、さらに1949年3月3日、大規模な改修を経て「労働公園」と改称された。園内には「労働創造世界」と書した石碑が建っている。





dairen_geore_029:翠色かゞやく


 写真は現在の労働公園の荷花池付近を撮影したものであろうか。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_069:大連中央公園の風光


 現在の労働公園の桜花林付近の景色と思われる。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_108:忠魂永遠に輝く大連忠靈塔


 中央公園の南、緑山の麓付近には日清日露戦争の戦死者を弔う忠霊塔が建っていた。現在は巨大なサッカーボール型の「建築芸術館」が建っているが、ほぼ廃墟と化している。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_136:勇士ノ英靈永ニ眠ル大連中央 公園内忠靈塔(要塞許可)


 忠霊塔をやや引き気味のアングルで描いたもの。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_139:大連西公園内虎溪橋


 「西公園時代」(1926年以前)の風景。撮影ポイントは未詳。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)