大連ヤマトホテル






 ヤマトホテルは満鉄が附属地経営や都市開発の拠点として南満州鉄道沿線に設けた直営ホテルである。8館が存在し、開業順にいうと、それぞれ大連(1907年)、旅順(1908年設立、1938年廃業)、長春(新京、1908年)、星ヶ浦(1910年)、奉天(現在の瀋陽、1910年)、哈爾浜(1935年)、牡丹江(1939年)、羅津(1939年)のヤマトホテルがあった。これらのホテルは沿線のなかでもとりわけ高級で格式の高いホテルとして計画され、軍部や政財界の要人らが多く投宿した。観光客の間でも高級ホテルとして有名であった。食事やサービスは西洋風のものばかりではなく、和食や和風風呂など日本風のものも備えていた。大連ヤマトホテルは当初、ロシア統治時代にダーリニー市役所、そしてダーリニー・ホテルとして使われていた建物を改築して1907年に開業したが、後年、旅行者の増加に伴い、大広場南面に移転した。なお、旧ヤマトホテルは滿蒙資源館として転用されている。新築のヤマトホテルは近世ルネッサンス式煉瓦造地上4階地下1階で、設計は満鉄工務課建築係の小野木孝治と太田毅。1909年に起工し、1914年に竣工。115の客室を擁し、食堂、舞踏室、玉突室、読書室、酒場などの施設が設けられていた。蒸気暖房やエレベータが完備された大連随一の高級ホテルであった。リットン調査団をはじめ、多くの著名人が宿泊した。一時間に一本、星ヶ浦ヤマトホテルとの間に「ホテル専用乗合自動車」が往復しており、リゾート地星ヶ浦へのアクセスもきわめて便利であった。大連ヤマトホテルは現在、大連賓館として営業を続けている。





dairen_geore_058:大連ノ大廣塲滿鐵直營大和ホテル


 絵葉書は広場中央の植え込みから南向きにヤマトホテル正面を描いたものである。

古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


dairen_geore_079:大連ヤマトホテル


 大連ヤマトホテルを正面から撮影したもの。手前に見えるのは初代関東都総督・大島義昌(1850~1926)の銅像である。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_100:中央廣塲に聳ゆるヤマトホテルの壯觀


 大連ヤマトホテルを正面から撮影したもの。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


dairen_geore_154:大連ヤマトホテル


 大連ヤマトホテルを正面から撮影したもの。

古絵はがき(表)
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