東北大学の跡






1923年に創立された当時中国東北部における最高学府。1928年に張学良が学長を兼任した後、多くの資金を投入して数人の有識者を教授として迎えいれた。日本占領期に廃校、1950年に東北工学院と改称し工学部中心の単科大学に、1993年に東北大学と名称が回復し、現在は国家重点の国立総合大学に発展している。





houten_geore_164:奉天だより(其二)東北大學の跡――


 「張学良華やかなりし旧軍閥時代巨費を投じて建造された東北大学は当時その最高学府として尊重されていたもので、規模も堂々たるものであるが、事変によって廃校となった。しかしその広大な校庭、その宏壮な講堂は今尚お新文化発祥の最高学府たる当時の面影を残している、張学良は愛国救国の美名によって頻りに排外主義教育を行い、教育の本義を喪失して専ら学校を排日宣伝機関に用いていたものであるが、この東北大学などは実にその雄たるものであった。満洲国としては目下建国早々のこととてこれを利用するの運びに至らないが近き将来には新に国の最高学府として必ず開学の運びに至るであろうと見られている。尚お目下その校舎の一部は皇軍の兵舎となり、広大な校内外を警戒する一方、奉天在住の日満両国人の為め日夜警備の労に当る皇国の精鋭が駐屯している。」

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


houten_geore_184:奉天だより(其二)東北大學の跡


 houten_geore_164と同じ写真。宛名面は違う。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


houten_geore_248:奉天東北大学(現日本軍臨時兵舎)


 臨時兵舎にされた際の写真に、門の前に衛兵が立っている。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)