北大営






 1931年9月18日に起きた柳条湖事件の現場の近くにある中国軍の兵営。事件当日、爆音に驚いて出てきた中国兵を射殺し、北大営を占拠した。





houten_geore_013:(大満洲百景)奉天郊外北大営全景及(上)戦蹟


 写真は北大営の入り口か。右下の戦蹟写真は兵舎壁に残った弾痕。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


houten_geore_014:(奉天 北大営)激戦を物語る兵舎の弾痕【昭和六年 満州事変の発端】


 北大営についてはhouten_geore_013に参照。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


houten_geore_084:(奉天名所)北大営正門


 北大営についてはhouten_geore_013に参照。写真は北大営正門をクローズアップして撮影したもの。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


houten_geore_190:奉天だより(其一)奉天北大営――


 「これ満洲事変発生第一戦の地である。当時の旅長は王以哲であった。占拠直後営内の諸所に発見された王旅長の訓示に曰く『九月十九日午前二時を期し至急召集を行い、かねて打合せたる敏速絶対秘密の行動を取れ、各自はその任務を完全に尽せ云々』と、斯る計画的の行動に対しその十分の一にも当らざる兵力を以て数時間後、見事に占拠せるは全く上御一人の御稜威と吾が忠勇なる将兵の果敢なる行動の賜で洵に感謝に堪えない次第である。犠牲者英霊の供養塔は張学良華かなりし時の、その閲兵台であったところに建てられている。思えば新興国誕生などの礎石として意義深く亦尊き犠牲であった。 ますら夫のいさをは高し新国のいしずえ固くゆるがざるらん亡き友に手向の花と思えども緑だになき野辺の悲しさ」

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)