自治指導部




詳しい場所は分からないが、大西門附近の旧同澤女学校に移転した自治訓練所内と言われる。


 自治指導部は、1931年11月に関東軍が各地に乱立する治安維持委員会などの自治組織を統一化するために、于沖漢を部長として設置した実質的に在満日本人が操縦する組織である。自治指導部本部には、地方に派遣される日中人の自治指導員を訓練するために、地方自治指導員訓練所なども付設、相当数の在満日本人が、顧問その他として集結した。中央に自治指導部を設け、各県に自治指導員を派遣し、県自治指導委員会及び県自治執行委員会を設け、実質上旧県長の仕事に当たる案だった。1932年2月、全満洲建国促進運動連合大会が奉天城内自治指導部大講堂(大西門附近)で開催され、各代表約700人が参加し、満洲建国を宣言した。そして、自治指導部は1932年3月1日の満洲国建国とともに解散した。





houten_geore_007:(大満洲国建国記念)奉天自治指導部に各県代表の宣言決議文朗読


 会議の様子を撮影したもの。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)