満洲国協和会




場所未特定


 本部は長春市人民大街2836号に位置していたが、建築の形は写真と違うため、写真の建物は不明。協和会は満洲国の建国理念に直結する組織で、前身は満州青年連盟。満洲青年連盟は1928年11月に満鉄社員を中心に結成された団体であり、満州事変以前から民族協和、王道主義を唱えていた。連盟のメンバーは初期の満州国建国の工作を行った。そして、1932年3月1日に満洲国成立すると、自治指導部は建国とともに解散し、その任務は、ほとんどのメンバーとともに国務院姿政局に継承されたが、姿政局は在満日本人の体制内不満分子(主要勢力である大雄峰会系)の集会所の観を呈し、関東軍に無用有害視される。3月25日から、満洲青年連盟系の日本人四人、中国人二人で協和党創立準備委員会が奉天商埠地に事務局を開設、4月1日には奉天忠霊塔前に結党宣言。沿革としては、満洲青年連盟―協和党―協和会という流れである。





houten_geore_195:奉天だより(其六)満洲国協和会――


 「『本会の目的は建国精神を遵守し王道を主義とし民族の協和を念とし、以て我が国家の基礎を鞏固ならしめ王道政治の宣化を図らんとするにあり。大方の士希くは来り参せられよ。』との宣言をなし、大同元年七月十八日生れ出たこの会は執政溥儀閣下を名誉総裁と仰ぎ鄭国務総理を会長とし、十数万の日満人を会員に擁する満洲国唯一の公認団体である。満洲国が極めて特殊重要なる使命と内容を有することは言う迄もないが協和会はこの特殊な使命を遂行するため必然的に民衆の間から生まれたもので、多くの世界建国史にも例のない言わば思想建国団体とも称すべきものである。【綱領】(イ)宗旨、王道の実践を目的とし軍閥専制の余毒を削除する(ロ)経済政策、農政を振興し産業の改革に努めることによって国民生存の保障を期する。共産主義の破壊と資本主義の独占を排除する(ハ)国民思想、礼教を重じ天命を楽しむ民族の協和と国際の敦睦とを図る。」

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)