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北海は紫禁城の西北に位置する巨大な庭園である。北京を陪都とした遼の時代から開発が進められ、金の時代には行宮として湖と築山が整備され、瓊華島と名付けられた。13世紀初め、チンギス・ハン(1162~1227)率いるモンゴル軍が金を破り、孫のフビライ(1215~1294)が正式に北京を都に定めると(大都)、改修を進めるとともに皇城内に組み入れて禁苑とした。この時に瓊華島を「万寿山」(あるいは万歳山)、湖を「太液池」と名付けた。明清時代に入っても開発は続けられ、特に清代には二度にわたって大規模な修築が行われた。一度目は1651年、瓊華島山頂の広寒殿と周囲の附属建築を取り壊し、その跡地に巨大なラマ塔(白塔)を建造し、万寿山を白塔山と改名した。二度目は乾隆年間で、瓊華島北山と湖の東北に多くの建物を増築した。現在、白塔山南麓の正覚殿前に立つ乾隆御制碑に事の詳細が記されている。1961年3月4日、北海はその南門西側の団城とともに「第一批全国重点文物保護単位」に指定される。