朝鮮神宮






 朝鮮神宮は、植民地朝鮮の「総鎮守」として南山西麓に建てられた植民地神社である。朝鮮総督府は韓国併合直後から総督府庁舎とともに「朝鮮神社」の「新営調査費」を予算計上して候補地の選定を進め、1918年度には鎮座地を南山の「漢陽公園」に決定すると共に総督府内に造営事務局を設置。1919年には朝鮮神社の創立をうたう内閣告示を出して工事をすすめ、1925年10月に鎮座祭が行われた。朝鮮神宮の境内は、一の鳥居から石段・参進路・広場・鳥居・玉垣・拝殿・中門・本殿まで約500mのまっすぐな軸線に貫かれており、その設計にあわせて南山の山域が工事・開発された。その参道は、南大門からの城壁を撤去して造成され、神宮建設にあわせて南山にあった朝鮮王朝の太祖などを祀る「国師堂」は移転された。
 朝鮮神宮の祭神は天照大神と明治天皇であり、その社格は官幣大社として植民地朝鮮の「総鎮守」と位置づけられていた。1930年代なかば、とりわけ日中戦争の勃発以降、朝鮮総督府は植民地朝鮮の統合手段として神社政策を積極的に展開し、「国民儀礼」として朝鮮人に神社参拝を強要するようになるが、それゆえに植民地朝鮮の神社は朝鮮民衆の怨嗟の的となり、敗戦直後にはその多くが焼打ちを受けることになった。こうしたなか、朝鮮神宮は8月15日の午後に「昇神の儀」を行って祭神を抜き、その「御霊代」は航空機で宮内庁に返還された。朝鮮神宮は「敵産財産」としてアメリカ軍政庁の管理下に置かれたが、本殿は軍政庁の許可を得て官司等による解体と「奉焼」が行われた。朝鮮神宮のあった南山西麓は1960年代後半以降、朝鮮独立運動の活動家であった安重根や金九の銅像が建てられ、1970年には安重根義士記念館が開館している。





seoul_geore_033:朝鮮神宮の表参道(京城)



古絵はがき(表) 裏面

現在の写真


seoul_geore_051:官幣大社朝鮮神宮本殿



古絵はがき(表) 裏面

現在の写真