ダイヤ街






 ダイヤ街は新京で最も発達した繁華街のひとつ。大同大街の東側に位置し、北西から南東へと伸びる通りである。1921年にこの通りができた頃は人影もまばらであったが、満洲国成立後、めざましい発展をとげる。新発路に関東局庁舎や宝山マッチ工場などができ、近隣には関東局の住宅などが建てられ、1938年に宝山百貨店ができたことで、この地は吉野町・魁星街とともに新京東部の三大商業圏を形成した。銀座に例えられた吉野町との対比で、ダイヤ街は新宿に例えられた。ダンスホールや飲食店などが並び、日本料理を振る舞い舞妓の踊りを鑑賞できる店もあった。



sinkyo_geore_042:ダイヤ街の繁栄


この絵葉書にはダイヤ街の賑わいが映し出されている。多くの馬車が行き交い、道の両脇には看板が目を引く。左側に書かれている文字を読むと「ヱビス…」「薬 化粧品 小間物」「吉原洋服店 電話四八九六番」「…イシャツ…専門…」「クチベニ」「ワカモト」など。右側には「…新京出張所」「カフヱ…」など。よく見ると自転車が停められている。大きな起伏のない新京では自転車も便利な交通手段であったことだろう。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)