高等女学校






新京高等女学校は満鉄附属地の西広場のロータリー東南に位置した。満鉄は附属地内に日本人子弟の学校を作り経営した。長春の地に女学校が作られたのは1923年のこと。当初の校名は長春女学校であったが、満州国建国後、新京高等女学校となり、のちに新京敷島高等女学校へと名を改めた。sinkyo_geore_038を見ても分かるように白亜の美しい校舎であった。この学校と制服は、新京の少女たちの憧れであったという。校舎の裏側に運動場があり、多くの満洲の学校と同様に冬に氷を張ってスケートを楽しんだ。校舎はすでに取り壊されているが寄宿舎「杏花寮」の建築が現存する。



sinkyo_geore_007:瀟洒と明朗を展示せる新京高等女学校


 この写真は広場から東に向かって撮影したもの。左端に見えるのはロータリー中央に建てられた給水塔である。降水量が少ない満洲においては上水の供給は大きな課題であった(sinkyo_geore_012参照)。なおこの絵葉書は新京ホテルの年賀状として使われている。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


sinkyo_geore_038:長春高等女学校


この写真は西広場から東に向かって撮影。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)