日本帝国領事館






 日露戦争の後、日本は東アジアとくに満洲を中心に次々と在外領事館を開設した。長春の領事館は、はじめ清国道台衙門に隣接する敷地に作られたが、清朝とロシアが相次いで衙門と領事館を新築したことに触発され、新築の運びとなる。  屋根のゲーブル(破風)とその下にはゲーブル・ウィンドウが設けられる。  1922年の地図によれば附属地のすぐ外側。附属地のもっとも外側に位置する朝日通に面している。  *満洲の領事館建設は日本国内に比べて非常に迅速。材料の調達が日本に比べてスムーズ。さらに凍結期には工事ができないので急いで終わらせる必要もあった。(迅速ゆえ工事の粗さも目立った…)  「長春帝国領事館は長春府寛城子三道街に在り明治39年の開設で現今の建物は大正元年十月に竣工したものである。」  「広間は特に寒帯地方における冬季の散歩場となり、また饗宴・集会の場合の混乱を避けるためでもある」  「概観は煉瓦造りで窓は小さく、寄せ棟の質実で地味な印象であるが、車寄せや窓周りなど、とくに海軍旗をイメージさせる煉瓦と粗石のストライプでせいいっぱい派手に表現している。これらはのちに辰野式・フリークラシック様式と称される手法であるが、最初に採り入れたのは三橋と考えられている。また、正面のゲーブルの部分には両館とも、アール・ヌーヴォー調のモチーフを表現している。」





sinkyo_geore_043:長春日本帝國領事舘



古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)