浄月潭






 大河に接していない長春にとって水不足は深刻な問題であった。満鉄が都市経営をしていた時代から飲用水には地下水や中水の利用が図られ、高低差の少ない土地で効率よく給水するための給水塔が作られた。満洲国建国後、国都建設局により20か所の井戸が設置されたが、それでも需要を満たすことはできなかった。浄月潭は急速に人口が増える新京に供給する水資源を確保するため、南東郊外の伊通河支流(小河台河)を堰き止めて作られた貯水池である。浄月潭を作る際に上流域に植林をして保水能力を高めるようにしたため、広大な人工林が形成され、観光地として定期観光バスも走っていた。現在でも自然風景区として保護の対象となっている。浄月潭の名は台湾の日月潭にあやかったとの説もある。



sinkyo_geore_012:浄月潭水源地の水明美



古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)