寛城子戦跡






 寛城子は新京の北郊外。ロシアの東清鉄道の終点であった寛城子駅附近に中国軍の駐屯地があり、満洲事変時に日本軍が襲撃。激戦の末にこれを制圧した。この地は南嶺とともに満洲事変における最大の激戦地として建国の聖地とされた。戦死した兵士の墓標とともに記念碑が建てられ、sinkyo_geore_041のように生々しい銃痕の残る兵舎も保存された。また1919年の寛城子事件の舞台としても知られる。
 「北鉄時代は露西亜人の居住者が多く今も尚その面影を残されている。寛城子事件で有名なここ寛城子は満洲事変でもわが忠勇なる将士を悩まし、幾多尊き犠牲者を出したのであった。故勇士の墓標とともに記念碑が建てられ一歩旧兵舎に入れば数多の銃痕は当時の激戦を彷彿たらしめるものがある。」新京観光協会『国都新京案内』新京観光協会、1940年(国会図書館近代デジタルライブラリー)



sinkyo_geore_026:寛城子戦跡と記念碑



古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


sinkyo_geore_041:激戦を偲ぶ寛城子の満洲事変戦蹟


旧兵舎が保存され、残された多くの銃痕が激戦の模様を人々に想起させた。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


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