孝子塚






 「孝子塚の伝説」
 大同大街は全幅45メートル、幅16メートルの高速車道(片側二車線)の左右に幅2.5mのグリーンベルト、幅6メートルの緩速車道、幅6メートルの歩道を設けていた。大同広場以南はさらに拡幅されたが、民間信仰の聖地であった孝子塚はグリーンベルト内に現状保存された。(鄭孝胥が保存を主張したためとも、当局者が祟りを恐れたためとも言われる。)大同広場の南側は主要な観光ルートからは外れていたが、新京観光協会『国都新京案内』新京観光協会、1940年(国会図書館近代デジタルライブラリー)所収の第四コース(市街廻り)には近くの紅卍字会が路線に含まれるので、このルートを選んだ場合は車窓から孝子塚を眺めることができたであろう。  このあたりはもともと処刑場・墓地であったので、その中に孝子も葬られていたのであろう。当局も墓地について詳細は理解していなかったか。





sinkyo_geore_023:大同大街、孝子塚より大同広場を望む


 この絵葉書は大同広場の南にある孝子塚付近から大同広場の方向を眺めたもの。大同大街が北に向かって緩やかな上り坂になっていることが見て取れる。左上に見える孝子塚には様々な寄進の品々が捧げられ、手前には参詣者が香を買うために集まる。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)