南嶺戦跡






  満洲事変勃発後、長春の日本軍は南嶺と寛城子の兵営を奇襲。長春東南の郊外にある南嶺では少数の日本軍が敵兵四千四百名、野砲三十六門をものともせず勇敢に敵陣めがけて突進したと伝えられる。この南嶺と寛城子は、満洲事変における最大の激戦地として聖地化が進められ、観光ルートにも組み込まれた。早くも1931年の年末には、南嶺で戦死した日本兵の「英霊」を称えるプロパガンダ映画『噫!南嶺三十八勇士』を製作している。



sinkyo_geore_015:南嶺戦跡と其記念碑の聖観



古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


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