西公園






 西公園は満鉄の都市計画によって作られた公園のひとつ。長春駅の西南に位置し、満鉄附属地の最南端でもあった。1917年に完成。中央通りに向かって正門を開いていた。約50万uの広大な敷地の中には、樹木が生い茂り、花壇・温室・噴水や動物園、野球場・ゴルフ場などが備わり、多くの人々の憩いの場となった。池では夏はボート、冬はスケートが行なわれた。
 1938年に新京特別市は満鉄の提案を受けて西公園に日露戦争の英雄である児玉源太郎(1852-1906)の騎馬像を立てて児玉公園と改名した。(sinkyo_geore_018参照)。児玉公園の入園者調査によると1940年5月26日の開園時間は午前6時〜午後9時。旧満鉄附属地内にありながら日本人と中国人の割合は2対1であり、日本人が独占的に利用していたわけではないという。これは上海の租界にある公園が「犬と中国人は立ち入るべからず」とされていたことと対照的であった。現在は勝利公園として長春市民の憩いの場となっている。



sinkyo_geore_001:夏は白日朗々、清新の気溢るゝ西公園



古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


sinkyo_geore_018:児玉公園内、児玉大将の銅像


S1938年に新京特別市は満鉄の提案を受けて西公園に日露戦争の英雄である児玉大将の騎馬像を立てて児玉公園と改名した。終戦後、児玉の銅像は引き倒され、中山公園と名を改めた。さらに解放後、勝利公園と改められ今に至っている。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


sinkyo_geore_019:児玉公園の清色


湖に橋が架かり、大勢の人がその上を渡っている。手前には和服姿の女性が二人並んで歩いているが、ほかの人物はおおむね洋服を着ているように見える。絵葉書用のモデルであろうか。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)