官舎街







 国務院の東側は満洲国政府代用官舎や満洲電電会社の社宅が広がる地域であった。この絵葉書に見られるように、官舎は広い庭を有する西洋式の住宅があてがわれた。三菱などの出資で内地でも滅多に見られない豊かな住宅を作り上げた。(*) 実際には新京の住宅難は深刻であった。急増する人口に物価は高騰し東京よりも高くなり、住民は悲鳴を上げた。家賃も大幅に跳ね上がる。住宅難は日中戦争がはじまると、物資の調達が困難になったことによって悪化の一途をたどる。途中から企業も公務員も新京に赴任する場合は単身赴任を求められるようになったという。満州国皇帝溥儀の弟である溥傑(1907-1994)の妻、嵯峨浩(1914-1987)の回想でも、溥傑という満洲国の皇室の一員ですら住居に不自由したことが述べられる。






sinkyo_geore_005:益々伸び行く 新市街官舍街


 この写真は満洲国の行政機関が集まる順天大街の東側から、満洲国の行政の中心である国務院の方角を写したもの。手前には赤い屋根の西洋風の住宅が櫛比する。画面左奥に見える日本の国会議事堂にも似た洋風建築が国務院庁舎である。1936年9月竣工。詳細はsinkyo_geore_022参照。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)