南広場






 日本橋通りは満鉄附属地時代からのメインストリートの一つ。当初は東斜街と呼ばれたが1920年代に日本橋通りに改名。現在は勝利大街と呼ばれる。駅から附属地を東南に伸びる通りで、商埠地を経て旧市街(長春城)へとつながる。銀行や商店が軒を連ね、人々の往来の絶えない賑やかな通りであった。日本橋は附属地の南端部分を南南西から東北東へ流れる伊通河支流にかかる橋。附属地と商埠地の境界として認識されていた。南広場は日本橋通りの途中にあるロータリーである。南広場の南側には満鉄によって長春医院が作られた。三井物産の支店もこの広場の近くにある。 ※満洲には亡命ロシア人が多数居住していたが、新京では日本橋通りの新京駅にほど近いところにロシア人の経営する「ビクトリア」「アルメニア」「アララート」「アベスチャン」「エコノミア」といった料理店・喫茶店が集まっていた。



sinkyo_geore_021:日本橋通、南廣場の街景


絵葉書中央の建物は朝鮮銀行、その右側の道が祝町で、一番右手に見える建物は薬局。朝鮮銀行から通りを挟んで左側の建物は電電会社の分局。絵葉書では乗り合いバスよりも馬車が多く目につく。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)