大同広場






 大同広場は新京の都市計画の中核であった。満洲国建国以前は長春駅周辺の附属地から東南の旧市街に向かって都市が広がっていたが、西公園より南の地域は未開発のままであった。首都計画では、中央通りを南に延伸して駅から2.5qほどの位置に巨大なロータリーを設けることにした。これが大同広場である。
 もともと農地・荒地で、馬賊の処刑場や墓地となっていたこの地は、シビックセンターとして生まれ変わる。道路も含めると直径300メートル、外周は1キロメートルに及ぶ巨大な広場からは大同大街・興安大路などの幹線道路が放射状に延び、周辺には満洲中央銀行総行や満洲電電公社、首都警察庁、新京特別市公署など重要施設が立ち並んだ。






sinkyo_geore_040:大同広場(新京)


 大同広場で行なわれた紀元2600年記念パレードの様子を、広場南東側から北西に向かって撮影したもの。アングルから考えると満州国協和会の建物から撮影されたものであろうか。左手に見えるのが満洲電電公社。「謹祝日本紀元二千六百年/興亜国民全国大会」の語が掲げられる。右手に見える国旗を掲げた建物が満洲中央銀行。通りの両脇に立つ柱には日本と満洲両国の国旗があしらわれ、柱の両脇には青地に黄色い雲と赤い色が配される。貴志俊彦『満洲国のビジュアル・メディア』(吉川弘文館、2008年)166頁に同じ絵柄の絵葉書(ただしこちらには中国語と日本語の解説文が附される)が掲載される。P.152に解説あり。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)