忠霊塔






 忠霊塔は満洲事変で戦死した将兵を慰霊するために作られたモニュメント。日露戦争の戦没者の遺骨を安置するために大陸各地に納骨祠が設けられていたが、塔を設けたのは旅順に限られた。満洲事変以降、戦没者の増加により従前の納骨施設では対応できなくなると、あらたに新京・ハルビン等にも納骨堂をつくる。これらの納骨施設は始めから旅順のような巨大な忠霊塔を持っていた。忠霊塔に合祀される範囲は満州国または関東州において戦役又は事変のため戦没・病没した者であった。毎年恒例祭(5月30日)と臨時祭(9月18日)の2回の祭祀が行われ、満洲国皇帝溥儀は毎回御供物を下賜し、春は自ら参拝、秋にも侍従を遣わした。
 新京の忠霊塔は雪野元吉のコンペ案を採用し1934年11月に完成。鉄筋コンクリート造で、表面を花崗岩で覆った。塔身は日本の方角を向いていたという。内部には骨灰と軍神を表す日本刀が置かれ、塔の前には約3万uの広場が広がった。新京神社につぐ聖地として多くの参拝者を集めたが、1945年に砲撃で破壊され、1952年に撤去される。現在は人民解放軍の駐屯地になっており基座のみ残る。



sinkyo_geore_011:建国の人柱、忠霊塔の聖姿



古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


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