吉野町






 吉野町は附属地東部を東西に走る通りで、繁華街として早くより発展した。新京銀座とも呼ばれ旧附属地内で最も賑わいを見せる通りであった。夜は鈴蘭型の街灯の下に夜店が並んでいたという。
   長春の満鉄附属地では街路・街区は中国風の名称を用い、吉野町も横四街と呼ばれていた。1921年になって街路・街区名が日本風に改められ、南北方向は中央通りを中心に東西一・二・三条と名付けられ、東西方向は駅に近い街区より、東側はひふみ順に日之出・富士・三笠・吉野・祝・室・浪速・弥生、西側はいろは順に和泉・露月・羽衣・錦・蓬莱・平安・常盤・千鳥と町名がつけられた。弥生町よりも南の地域は、新京となってから五十音順に曙・入船・梅ヶ枝・永楽・老松と町名がつけられた。
娯楽関連の施設は賑わいをみせ、図書館は閑散としていたという。



sinkyo_geore_028:吉野町の玄関


 この写真は、駅から東南に伸び旧市街へ向かう日本橋通りから西に向かって吉野町の入口を撮影したもの。右手に見えるのは金泰洋行、左手に見えるのは平本洋行。金泰洋行は1906年に成立した百貨店。支配人石黒繁次,店主石黒仙次郎。宝山や三中井に比べて廉価な品々を扱っていたため、日本人から歓迎された。建物は90年代に取り壊されている。

古絵はがき(表)

古絵はがき(裏)


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