学習院大学の就職力
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44勉学にサークルに思いっきり打ち込んだ4年間 大学時代は自分に枠をつくらず、興味のあることには何でもトライしようと、勉強、サークルのバンド活動などさまざまなことに打ち込みました。 スケジュールは平日はもちろん土日までびっしり。とにかく忙しい毎日でしたが、時間をめいっぱい使い切り、充実した学タカラトミー 連結人事室平野真理子さん街がキャンパスになる好立地。少しの空き時間に横浜まで遊びに行きました 学生時代、休講や授業の合間など、ちょっとした空き時間ができると、できたばかりの横浜ベイブリッジを見物に行ったり、鎌倉の人気店まで足を延ばしてランチをしたりと、あっちこっちさまよったものです。好奇心の赴くままに飛び回れたのはキャンパスが都心の目白にあったからこそだと思います。 そんなふうですから、最新スポットの情報には長たけていましたね。それを友達に話して回っていたら、流行に敏感なやつがいると私のことが学内で話題になって、デートで使える店を教えてよ、新しくできたあの店はどう、なんて声をかけられるようになりました。おかげで、学部やサークルの垣根を越えて私の元に多くの学友が集まるようになりましたね。学内で起こったことや面白い学生の情報がすぐに伝わるのは、コンパクトでまとまりのある学習院大学だからこその面白みで、それが一つの集団にとどまることのない枠を超えた交流につながっていると思います。 そうしてできあがった横のつながりのおかげで、面接でどんな質問をされたか、何を注意されたかなどの情報交換ができて、就職活動について多くの情報を得られました。団体戦に臨む気持ちで就活に取り組めたのは心強かったです。学習院で身につけたフロンティア・スピリットで家業の再生に 祖父から不動産業のやりがいの大きさをよく聞かされていたので、初めは不動産業に就職しました。 当時はバブル全盛の頃で、日本経済も右肩上がり。しかし、南国酒家 代表取締役社長宮田順次さんそれも長くは続かず、1990年代に入ると雲行きが怪しくなってきました。不安になって家業は大丈夫かと調べてみると、案の定、業績は右肩下がり。これは自分がやらなければいけないと、一念発起して、会社を辞め、家業を継ぐことにしました。悪戦苦闘の末、立て直しのめどは立ったのですが、今度は我が家のもう一つの家業の飲食部門が低迷。全くの畑違いではありましたが、食べ歩きをしていた学生の頃から飲食業をやってみたいという思いもありましたし、ある程度の勘は働くだろうと今度はそちらの方面に力を注ぎました。 課題は山積みでしたが、新たなことに挑戦できる楽しさのほうが大きかったです。そんなふうに考えられるようになれたのも、都心のキャンパスでのびのびと過ごした学習院大学での4年間で、新たなことに挑戦する楽しさを身をもって知っていたからだと思います。Q.経営者としてめざしていることは?創業以来のスローガン「日本の美味しい中国料理を求めて」のもと、日本人の口に合う中国料理を日々追求しています。今、特に力を入れているのは、小型干しアワビの普及事業。大半が中国に輸出されていて日本にはほとんど出回っていない干しアワビを安価で全国の方に提供するのが目標です。Q.学習院のOB・OGのイメージを教えてください。温和で不正をする人がいないという印象です。環境に適応する力があるので、どんな職場でもうまくやっているように思います。みやた じゅんじ 1991年・法学部法学科卒業 ゼミ/民法について。特に医療事故の判例について研究 部活・サークル/ゴルフ部 学生時代の座右の銘/人の役に立ちたい友人と流行を追いかけた経験が先を見通す力に
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