文学部卒業生_デジタルブック
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入か?』って先生がお聞きになるんで、『考古学をやってみようと思っています』と答えると『うちの史学科にはね、考古学はないんですよ』と言われちゃいました。まあ、もう選んじゃったから、しかたがねえやってんで、そのまま史学科で勉強しましたけどね(笑)」 入学後は、西洋中世史の研究で有名な堀越孝一教授の元で学んだ。勉強に対しては真面目で、卒論にも熱心に取り組んだという。身をもって知った落語の世界の厳しさ 一方、大学に通うかたわら、外部の劇団に所属して演劇に取り組んだ。 「本気で役者になりたいと思っていたわけではないんですが、何かに熱中したかったんでしょうね。卒業してからも半年くらい、その劇団でお世話になりました」 劇団での生活は、しかし自分が求めているものではないような気がした。生き方を模索するなかで、ある記憶がよみがえった。 「高校生の頃、テレビでやっていた落語を見たことがあったんです。落語のことなど何にも知りやしませんでしたが、噺はなしだけなのに風景が鮮やかに浮かぶのがとにかくすごいなあと思いましてね。その記憶がふっとよみがえったわけです。これだ、と思いました」 初めて見たその落語家こそが、のちに師匠となる古今亭圓菊さんだった。 落語に思いを定めた文菊さんは、圓菊さんに手紙を書き、彼が出演していた新宿末廣亭に通って、楽屋の出口で弟子入りを何度も頼み込んだ。しかし、圓菊さんは決して首を縦には振らなかった。 「師匠はその頃すでに74歳でしたから、おめえが真打になるまで、生きちゃいられねえって言うんです」 しかし、折れたのは圓菊さんのほうだった。10日間の興行の最終日、ついに「ご両親をつれてこい」と文菊さんに告げたという。 夢にまで見た一流落語家の元への入門だったが、内側から見る落語の世界は想像を絶する厳しさだった。文菊さんは振り返る。 「見習い、前座は人にあらず、というのが落語の世界でして、1年365日、一日も休まずに師匠のお宅に通いつめて、掃除から身の回りのお世話から、すべてをやらなければなりません。しかもうちの師匠は、苦労しなければ一人前の落語家にはなれないという主義を貫いていましたから、弟子に苦労させることだけが目的みたいなもんでした」 門後、見習いからスタートして「前座」「二ツ目」「真打ち」と、順を追って昇進していく落語の世界。通常、真打ちになるまでには、12年から15年くらいの修業が必要とされる。その厳しい世界で、2012年、入門10年目にして真打ちに昇進したのが、古今亭文菊(本名・宮川真吾)さんだ。先輩28人を抜いての昇進という快挙。新作落語を好む若手が多いなかにあって、江戸時代から伝わる古典落語に真剣に取り組む姿勢を評価されての昇進だった。 いかにも新進気鋭の若手落語家といった印象だが、学生時代は特に落語に興味をもっていたわけではなかったという。 高校では漕艇(ボート)部に所属。部活動に熱心に取り組んだが、大学でやりたいことは明確ではなかった。 「当時、好きだった漫画の影響で、考古学にちょっとだけ興味がありましてね。なら、歴史の学科だろうってことで、学習院大学の文学部史学科を選んだわけです。入試のときの口頭試問ってので、『何がやりたいんです2012年9月2日に帝国ホテルの「富士の間」で開催された真打昇進披露パーティの模様。前座・二ツ目時代の「古今亭菊六」から「古今亭文菊」への改名を招待客に報告した。師匠の圓菊さんは、このおよそひと月後に天国に旅立った2007年、尊敬する師匠、古今亭圓菊さんを隣にして、やや緊張している様子●1979年、東京都生まれ。2001年、史学科卒業後、古今亭圓菊に入門。03年1月に前座に、06年5月に二ツ目に昇進する。12年9月には28人抜きで真打ちに昇進して話題に。これまで、NHK新人演芸大賞落語部門大賞、浅草芸能大賞新人賞などを受賞している。Bungiku Kokontei落語家049GAKUSHUIN UNIVERSITY

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