研究の現場から

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クリエイティブな解決手段「和解」を広める
1946年福岡県生まれ。1969年九州大学法学部卒業(法学士)。各地での判事任官を経て鹿児島地方・家庭裁判所長、広島高等裁判所判事と35年間の裁判官生活ののち、60歳で現職に。日本インドネシア法律家協会理事長、仲裁ADR法学会理事長。
草野芳郎 法学部法学科教授 訴訟上の和解、交渉技術、ADR、インドネシア法
「和解技術論」の日本語版、英語版、そしてインドネシア語版。「和解という紛争解決手段を世界に広める」という草野教授の思いが形になったもの。

「私が若い頃には、『裁判官は判決を下すためにいるのであって、和解をするためにいるのではない』という考え方が強かったんです。でも、私にはそうは思えなかった」
草野教授は35年間、裁判官として様々な事件に携わってきた。その大半は民事事件。新たな事件を担当するたび、「判決は必ずしも最良の解決法ではない」という思いを強くしていったのだという。
「判決というのは、裁判官が命じるものです。命じるためには、争点を限定し、証拠と照合して事実を確定しなければならない。でもその前に和解し合意していたら、そんな必要はなくなるんです。判決は過去に起きたことに対しての決着でしかないけれど、将来の視点を入れればクリエイティブに考えることができる。土地の問題でもどう分けるかではなく、二人で協力してマンションを建てるということだって考えられる。それに、和解をしておけば、事件が終了するために、裁判が続行して期日のたびに過去のつらいことを思い出さずに済むでしょう」

その思いのもと、教授が裁判官在任中著したのが、判決ではなく当事者同士の和解で事件を解決する際の手引きを示した『和解技術論』。1986年に論文として「判例タイムズ」589号に掲載されたのち、次第に和解が判決とならぶ解決方法であるという認識が広まり、1995年には単行本として出版された。2千部売れればベストセラーと言われるジャンルで、1万1千部発行という快挙を成し遂げることとなる。

インドネシアの法支援を継続する意義

(上)インドネシア伝統の影絵芝居に使われるワヤン人形。他にも研究室はインドネシアとの友好の証がいっぱい。(下)インドネシアの最高裁長官らと映った写真がカレンダーに。

日本は、開発途上国に対して法整備支援を行っている。インドネシアに対しても2002年から法律に関する研修を実施し、JICA(日本国際協力機構)主導で2007年から2009年まで「インドネシア和解・調停制度強化支援プロジェクト」が行われた。草野教授はそのプロジェクトメンバーの一人だ。
「インドネシアには、かつてオランダの植民地であった頃の法律しかありません。戦後60年以上経つというのに、まだ戦前の法律を使っている。ただ、国会を通さなくても改正できる最高裁規則でメディエーション(調停)について、オーストラリアの支援によって2003年にアメリカ型のものが作成されていた。しかしまったく機能しないということで、改めて日本の支援で2008年に最高裁規則を改正したんです」
同じ2008年8月、草野教授は現地の要望に応えて『和解技術論』のインドネシア語版を自費出版した。表紙には大きく「WAKAI」と書かれている。
「法整備支援に携わるとき、和解や調停といった重要な単語については翻訳をあえてしませんでした。翻訳をするから間違えるのです。日本の和解と、インドネシアでの和解、その違いを認識したうえで、いいところを学んでほしいという気持ちでした」
十分な成果を出したという理由でプロジェクトは2009年で終了となる。しかし、草野教授はその後もインドネシア法曹界との関わりを続けた。
「2003年に作られた最高裁規則が機能しなかった理由を聞いたら、アフターケアがなかったからという意見が出てきたんです。最高裁は中にいる人間が働きかけてもなかなか動いてくれない。けれど外部の方に指摘されると対応する、と。だからプロジェクト終了後も私は自分の研究費で毎年裁判所や大学を訪問しています。去年は日本インドネシア法律家協会という団体をつくりました。日本とインドネシアの接点を作りつづけていこうと思ってのことです」

高齢者の問題に対して「和解」ができること

草野教授は現在、仲裁ADR法学会の理事長も務めている。ADRとは「裁判外紛争解決手続」。つまりは判決によらない合意による解決で草野教授が長年取り組んできた和解もこれのひとつである。なかでも高齢者に対するADRに着目している。
「これからさらに高齢社会は進んでいきます。現行の民法はしっかりと判断力のある成人を対象につくられていますが、それではカバーしきれない部分が出てくるはずなんです」
インドネシアとのつながりと、高齢者ADRへの取り組み。二つを結ぶ接点として「東アジア高齢社会の法的問題解決に向けた共同研究拠点の形成」というプロジェクトを岡孝教授(法学部)とともに立ち上げてもいる。2011年には弁護士登録もして、忙しい日々だ。
「裁判官は65歳が定年なんですが、60歳のときに学習院大学に声をかけてもらった。とくにある先生に『絶対後悔させない』と熱心に誘っていただき、大学に来ました。裁判官というのは、事件からエネルギーをもらいます。裁判官を辞めるとそのエネルギーがなくなってしまうから、教授の仕事は3年が限度かな、なんて思っていた。2年間は必死に大学に取り組み、それから弁護士登録をしようと考えていたんです。でも実際に教壇に立ってみたら、若いゼミ生たちのエネルギーがすごくて、それどころではなくなりました」

以降、教授業に没頭して8年が経つ。2年前の弁護士登録も、「学生たちに教えるのに、『6年前の現場はこうだった』というのでは時代とズレてしまう。実際の法曹の現場を伝えなくては」という理由。68歳のいま、ますますアグレッシブに諸問題に取り組んでいる。
「生涯かけて、和解という解決手段を世界に広げたい。それから、実は私は人生相談も得意じゃないかなと思う。裁判所には成功者は来ない。何かに失敗してがっくりきた人の話なら35年間聞き続けてきましたからね」