旧東亜経済調査局所蔵回教関連資料

解説

東亜経済調査局旧蔵のイスラム教(回教)関連資料群。すべてに東亜経済調査局の所蔵印と分類番号が残っている。2002年に古書店から購入した。東亜経済調査局は大川周明が当初は満鉄の下部組織として発足したが、その後、財団として分立した。イスラム研究で著名な井筒俊彦・前嶋信次(ともにのち慶應義塾大学教授)の両氏もこの調査局で研究をおこなった。戦後、この東亜経済調査局の資料はGHQによって接収され、米国議会図書館・国防総省の図書館に保存されたとされている。

コラム: 東亜経済調査局とイスラーム研究
     ・「回教工作」

日露戦争後、ロシアが有していた中国東北地域南部における諸権益は日本に移譲され、東清鉄道南支路線を始めとする当地の租借地を経営する組織として、1906年11月、南満州鉄道株式会社、通称満鉄が創立された。初代総裁後藤新平の方針により、満鉄では当初より「南満」をはじめとする大陸の調査活動が重視され、創立翌年7月には大連の本社内に満鉄調査部が置かれた。次いで1908年2月、各種情報の収集・発信を目的として東京支社内に成立したのが東亜経済調査局である。

成立当初より各国の経済・労働問題や植民地政策に関する情報を広く収集した東亜経済調査局であったが、宗教的・政治的な方面から南アジア・西アジアに関心を抱く大川周(しゅう)明(めい)が入社(1918年)以後、東南アジア・西南アジアが主要調査対象地域となった。のちに二・二六事件に関与したことで大川は理事長職を退くが、出獄後も顧問となり、モーリツBernhard Moritz(1859-1939)やフェランPaul Gabriel Joseph Ferrand(1864-1935)など西欧のイスラーム研究者の旧蔵書を購入し、アラビア語原典からの初のクルアーン邦訳で知られる井筒俊彦(1914-1993)や西アジア史学者の前嶋信次(1903-1983)など、戦後日本のイスラーム研究を担った研究者を援助したことはよく知られている。

もっとも、戦時下でイスラーム研究に資金を割くことを許された背景には、1938年以後、大陸・南洋に進出しつつあった日本軍部における、被占領地域在住のムスリムに対する関心の高まりがあった。東亜経済調査局も、上海に置かれた支局が回族に対する国民政府の動態を調査するなど、時局の要請に応える情報収集を行った。また、満鉄嘱託として華北の回族調査を行った亡命バシュコルト人クルバンガリーと親しく、代々木モスクの創建(1938年)にも関与した嶋野三郎(1893-1982)や、内モンゴル包頭の満鉄公所にて回族の調査にあたった三田了一(ムスリム名オマル、1892-1983)など、当時の「回教工作」関係者のなかにも、かつて同調査局に所属した人々の姿を見ることができる。

文献研究と時事情報収集の両方面で行われた東亜経済調査局の調査も、1945年にほかの満鉄関連機関と同様に解散・終了となり、その蔵書の多くはアメリカ軍の所有に帰したが、接収を免れた洋書群は国会図書館に購入・整理され、希望者の閲覧に供することが可能となった。しかしながら、本「回教文献」のように、公共機関の所蔵とならないまま、「逸書」となっていた事例もある。敗戦とともに解体されたほかのイスラーム関係機関に比し、東亜経済調査局の「回教工作」についてはいまだ十分に研究がなされているとはいえない現在、本文献群の存在は貴重なものであろう。

(田島)

(克蘭講演)