朝鮮問題雑纂(阪谷文書)  1巻~4巻

解説

「阪谷文書」とは、西園寺内閣の大蔵大臣(1906~1908)をつとめ、「財政通」として知られた阪谷芳郎が集めた180点にのぼる資料をさす。阪谷は日本の官僚として京釜鉄道施設にかかわったことなどから、朝鮮に深く関心を持ち、1926年に創設された「中央朝鮮協会」では、27年から41年までの長きにわたって会長をつとめている。「中央朝鮮協会」とは元朝鮮総督府の高官をはじめ朝鮮に関係のあった企業の幹部などの「朝鮮通」が集まり、「朝鮮の開発」を旗印に最盛期には500名近くの会員を擁したいわば総督府の応援団であった。其の会長をつとめた阪谷の文書は「朝鮮問題雑纂」として、4冊に分けられ、それぞれにきちんと目録がつけられている。中でも圧巻なのは3・1運動に関する資料で、メソジスト教会が、3・1運動の余燼のおさまらぬ5月から6月にかけて、朝鮮各地を歩いて朝鮮人の声を記録した「朝鮮騒擾地巡回日誌」・「騒擾事件入監者 職業別表」・「騒擾事件(独立万歳事件)起訴被告人信徒別」など貴重な資料が入っている。

此の資料は阪谷の義理の甥である穂積真六郎に、「これは必ず君が採りに来るだろうと思って、とっておいたよ」と渡してくれたものだと言う。

(宮田 節子)