学習院大学訪問記

渡邊靖志 〈東工大理〉
(日本物理学会誌 Vol. 56, No. 12, 2001より転載)

「日本学術会議物理研究連絡委員会」の下に設置された「物理教育小委員会」[1]の活動の一環として、2001年6月8日(金)、覧具委員長以下5名の委員が江沢洋教授、荒川一郎教授らのご厚意により、学習院大学の物理教育現場を見学させて頂く機会を得た。この見学は、国際基督教大学[1]、新潟大学[2]に続いてのものである。
大学での物理教育の原点に触れた感激をお伝えしたい。

1.授業見学
 まず、何十年か振りに学生になった気分で、田崎晴明教授の大変明快で迫力溢れる熱力学および統計力学の講義を聞いた。ミクロの世界で定義される分配関数とマクロな熱力学の変数との関係を、卑近で適切な例をあげて学生を笑わせながら、90分の授業中ずっと学生を魅き付けていた。印象的だったのは、授業開始のチャイムが鳴る前に、教授が教室に既にいたことである。田崎教授は大変お若く、筆者とは初対面であった。たまたま教壇にいた学生とばかり思っていた人が、チャイムが鳴るや否や、満々と講義を始めたのにはびっくりした。
 午後は、まず川畑有郷教授の1年生向けの物理数学lの授業を聞いた。淡々としながらも、川畑教授の人柄が溢れる好感が湧く授業であった。しかし同時に基礎教育の難しさを改めて感じた。すなわち「後で物理で役に立っから」と数学を教えていても、習っているときはそれが学生には見えない。
2.工作工場
 続いて工作工場を見学した。うかつにも筆者は部屋に入るまで、その歴史や存在意義を全く知らなかった。学習院大学理学部は1999年に50周年を迎えたが、その創設当初からこの工作工場があったとのこと。物理学札化学科の学生は、そこでの実験技術実習が必修とのことである。
その内容は、製図、ガラス細二、金属の溶接、化学メッキ、回路技術を学期中に、そしてミニラボジャッキの製作を夏または春休み中に行う。工場での実習は、一回5名、2日間ずつである。
ミニラボジャッキは、用意された真ちゅう棒などの材料を旋盤でねじを切ったりして組み立てる。完成品はかなり精巧なもので、記念に持ち帰れる。「金属が削れる」ことを知ってびっくりする学生もいるそうで、これらの実習は結構大変な作業なのに、学生には好評のようだ。
 理料離れが叫ばれて久しいが、もっと根源に「もの離れ」があるのだと筆者は思う。
あまりにも身のまわりのものがあ度になりすぎて、たとえ分解しても中味が分からない。
分解しようとする気さえ起こらない。そういう風潮の中で、あくまで自分の手でものをつくることにこだわり、
現代の今でも工作実習を必修としている学習院大学の伝統に深い感銘を受けた。
いや今だからこそ、こういう伝統は新鮮で強烈な印象を与えるのかもしれない。
教育改善の一つの方向を見た思いで。見学での大きな収穫であった。

3.学生実験
 学生実験で大きな特徴と思えたことは、それが実験系研究室(6研究室)の責任とアイデアの下に行われていることである。新任の教員は、少なくとも一つは新しいテーマを開発する義務があるとのことだが、
各研究室の責任ということで、いろいろな工夫が見える。たとえば、波長3cmのマイクロ波を用いて、
X線回折、プラッグ反射を実感させる実験。そのための「結晶」は1-2週間かけて自作するそうである。
直径1cmくらいの発泡スチロールに銀紙をかぶせ、それを細い棒で面心立方などのかなり精巧な結晶に仕上げる。ここでもものづくりの精神が生きている。
4.憩談会
 物理学科の先生方と懇談する機会を頂き、学料の概要等について教えて頂いた。学習院大学の最大の特徴は、工学部がないことである。物理学科の教員は基本的に物理学料の教育に専心できる。
 学生の実定員は、理学部170名程度(物理、化学とも約50名、数学70名程度)、他は文系で、1学年2000名弱とのこと。物理学科の教員数は教授、助教授が9名(理論3、実験6)、助手9名、合計18名である。「学生対教員の比などの点で、私大としては大変恵まれている」とは、ある委員(別の私大の教員)の率直な感想であった。
 1年生については、5月終わり頃に、学生全員の意見を聞く会を設けるそうである。
「まずアンケートで、授業などについての学生の意見を集め、教員全員が1年生全員と懇談し、学生は全員必ず発言するように司会する」とのこと。その結果を受けて既にいくつか改善がなされた。たとえば、三つの数学の授業のうち、二つは物理の教員が受け持つことにしたなど。物理の1年生は、「純粋」数学の授業に困惑するらしい。「自分は数学を勉強するために物理学科にきたのではない」と。それで「物理の教員が数学を教えれば、物理に数学が必要らしいと納得してくれるようだ」とのこと。
 教員の悩みは、いろいろ考えて努力・工夫しても学生に必ずしも伝わらず、ついてきてくれない、学習院大の良さを分かってくれない、余り考えずに他大学大学院にいってしまうことなど。
 教員と学生のインピーダンスミスマッチを感じ、何とかならないかと思い悩んでいるとの正直な発言であった。
5.感想
 理学部案内のパンフレットの冒頭に「ほんものを身につければ無限の可能性がひらける」とある。
また、物理学料の案内には「物理という生きた学問の魅力を知ってもらうために、実験でも、理論でも、
できる限り学生自身が工夫する。それが本物理学科である。(以下略)」とある。そのとおりを実践している学料であった。もともと理学部発足にあたり組織を構想された佐藤孝二先生[3]の理念が、「学問を金科玉条のように追う風習から脱却し、自分の目で見、自分の手を汚して考え、また何かをつくる、そういう能力を育てる」ことにあり、また、「熱心になればなるはど溝が深くなる理学部と工学部との谷間を埋めること」だったそうである。その精神を守り、あくまでも「もの」にこだわる姿勢に、物理教育の本質を見た思いがした。
 このように、授業等を見学させて頂く機会を頂き、それが逆の立場であったらと考えると冷や汗が出た。それなのに快く見学を受け入れて頂き、貴重な時間を割いて下さった学習院大学の皆様に心から感謝したい。

参考文歓
[1] 覧異博義。合田正穀:日本物理学会誌 56 (2001)858一国際基督教大学訪問記。
  小委員会委員名もそこを参照のこと。合田。西島。西川の各委員は都合がつかず欠席。

[2] 丸山武男:科学 71(2001〉246
  一学生の能力を引き出す大学教育を求めて一新潟大学工学部における教育改革−。

[3] 東大物理卒。東大工学部教授、航空研所員、小林理研所長。同理事長、音響学会会長などを歴任。

日本物理学会誌 Vol. 56, No. 12, 2001

理学部トップに戻る