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目白キャンパスの奥深く、理学部数学科の研究室を擁する南4号館がある。4階からの眺めは緑が深く、日が落ちると木の枝越しに高層ビル街の夜景が美しい。 松本幸夫(まつもと・ゆきお)教授(H27年度末退官)の研究室に一歩入ると、デスクに積み上がった専門書と、コーヒーの芳しい香りが出迎えてくれる。 一見雑然としているが、その佇まいが、いかにも数学者いや幾何学者の雰囲気を漂わせている。 今回は、多様体の位相幾何学とくに4次元多様体論の研究者で数々の業績を上げている松本教授に「幾何学」を語っていただこう。

松本.

松本先生、はじめまして。お名前は存じ上げておりましたが、こうしてお話するのは初めてです。お会いできてとてもうれしいです。

松本.

私は神田さんが数学科を卒業した後に学習院に移って来たので、確かに接点はありませんでしたね。では、この機会に「解析接続」してしまいましょう。


松本.

ええー? いきなり専門用語が出てきては困ります。

松本.

いやいや、ごめんなさい。私の専門の幾何学では、接続したり切断したり、つまり「切り貼り」の類のことをいつもやっているので、ついそんな言葉が出てきてしまいました。


松本.

先生のご専門の幾何学について、噛み砕いてお聞かせいただけますか?

松本.

私の専門は位相幾何学、トポロジーに属します。ご存知かと思いますが、トポロジーでは、球面やドーナツ面などがゴムのように伸縮自在だとして、 グニャグニャと変形することを考えます。そうすると、球面はどんなふうに変形してもドーナツ面にはなれない。 よく例としてあげられますが、コーヒーカップ(の表面)が仮にゴムのようにグニャグニャしていれば(実際にはそんなコーヒーカップ使いたくないですけど) ドーナツ面に変形できます。




松本.

コーヒーカップには取っ手があって、指の通る部分がドーナツの穴になるんですね。

松本.

そういうことです。ところが、先程も言ったように、球面をどんなふうに変形してもドーナツ面にすることができない。 この「どんなふうにしても」ということが大切です。変形の仕方はそれこそ千差万別、無限のやり方があるのですが、 「できない」ことを示すには、変形の仕方を数学的にしっかりと定式化し、その定式化で許されるどの仕方でも変形できないことを確認する必要があるわけです。


松本.

球面とドーナツ面が違うのは当たり前だと思うのですが、そう簡単ではないんですね。数学的にしっかりと定式化…ですか、難しそうです。

松本.

そのためには、まず扱いたい図形、今の場合だと球面やドーナツ面、コーヒーカップの表面などですが、そういったものを数学的にちゃんと捉える必要があります。 そこで多様体(たようたい)という概念が出てきます。多様体というのは、ギリシャの昔から研究されている図形たち、円、楕円、球面などを一般化した概念です。 たとえば球面についてお話しすると、地球は丸いですが、私たちはそのことをあまり意識していないですよね。それは、自分の立っているごく近いところでは平面と区別がつかないからです。 そこで、ひとつひとつの点のまわりでは、平面(小さな円盤と言った方がいいですが)と同じとみなせるような点の集まり全体を「多様体」と定義するわけです。 実際には、点の「つながり具合」(「連なり具合」の方がいいかな)についての性質も要請する必要があるのですが、詳細は省きましょう。


松本.

確かに球面はごくごく狭いところだけ見ると円盤の集まりに見えます。ええっと、それが先程の「グニャグニャと変形する」こととどう関係するんですか?

松本.

多様体を構成するそれぞれの点のごく近くは平面と同じと考えてよいので、その点を原点とする座標を入れることができるのです。


松本.

座標というと、x軸とy軸があって点を数のペア (x, y)で表すってことですよね? それで、 x と y の関係式がグラフとか図形を表す…。

松本.

そう、別の多様体の点のごく近くにも座標が入っている。同じ文字だと混乱するので、その座標を z, w と書きましょう。 そうすると z, w を x, y の式で表すなんてことができるようになります。このような式は、数学的には「関数」とか「写像」とか言うのですが、 そうやって各点で定められた関数を、点のつながり具合も込めてうまい具合に多様体全体に広げることができると、結局、多様体から別の多様体への写像が定まることになります。 これが「グニャグニャ変形」の数学的な定式化です。


松本.

うーん、だんだん難しくなってきましたが、私も数学科卒! ちょっと考えてみますと、ええっと、ひとつの点のまわりで定義された関数と、 その点の近くの点のまわりで定義された関数が矛盾なく計算できると、その二つの点はうまくつながっているということですね。それが最初に先生がおっしゃった「解析接続」ですか?

松本.

さすがは神田さん、のみこみが早い! 本当はいろいろと細かい議論が必要ですが、だいたいそんな感じで結構です。 このようにして「グニャグニャ変形」が定式化されると、あとは関数の計算、つまり加減乗除や微分積分など、高校生でも理解できる計算に帰着できることになります。 次に、球面をどう変形してもドーナツ面にならないことを示すには、どんな写像(=関数)を選んでもダメだよ、ということを確かめればよい。これはそんな簡単なことではありませんが、 一旦、写像全体を集めておいて、その後それらをうまく分類したりすることで、球面やドーナツ面それぞれに特有の性質を引き出し、これらは確かに違うものだ、という結論を導きます。 幾何学者は多様体の上の写像ひとつひとつを扱うというより、ある種類の写像の集まりを考えて、それに数学的な構造を付与したり、その他いろいろ細かい議論をして、 多様体の本質に迫ろうとしています。どんな種類の写像の集まりを考えるかによっていろいろな幾何学が展開されます。


松本.

じぇじぇ! オラ、もうぜんぜんわからねえ…。ところで先生のご専門は「4次元多様体論」と伺っていますが…。

松本.

先程、多様体の説明で、各点のまわりは小さな円盤と同じと言いましたが、これは正確には2次元多様体のことです。円盤の代わりに球(中身の詰まった球)を考えると、 3次元多様体が定義できます。球の中心を原点とする3つの座標が入りますからね。さらにもうひとつ座標を付け加えると4次元多様体ができるというわけです。 実は、私は2次元、3次元、4次元という順に研究したのではなく、若いころはもっとずっと高い次元の多様体を研究していて、少しずつ降りてきて、今は4次元に興味を持っているのです。 高い次元の方がいろいろな道具が上手に使えるので研究がしやすいのです。4次元は難しいけれど、だからこそ大変に面白い。この辺はちょっと説明しにくいところですけれど。



松本研究室のメンバーと神田愛花さん

松本.

4次元などと聞くと、SFの世界の話のようで想像もつきませんが、先生の楽しげな話ぶりを伺うと確かに面白そうですね。最後に、若い人たちに何かひと言お願いします。

松本.

以前、どこかの雑誌にも書きましたが、自分の手で計算し、自分の頭で考えて勉強した方が、人から教わったことをなぞるよりわかった気がするし、永く記憶に残るようです。 だから、わからないことがあってもすぐに先生に聞いたりしないで「時間をかけて自分でよく考えなさい」ということがまず第一です。それから、もうひとつ、これは私の友人の言葉ですが、 「自分が一番面白いと思うことをやりなさい」ということ。考えてみれば、私はこれまでこの言葉に素直にしたがって生きてきたようなものです。簡単そうで難しい、難しそうで簡単なことですね。


松本.

ありがとうございます! 本日は楽しいお話をどうもありがとうございました。

松本.

こちらこそ、私も神田さんとお話ができて楽しかったです。




神田愛花さん
神田愛花さんプロフィール公式サイト