学生生活の手引 2014 | 学習院大学
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57 ● 起源・院歌起 源院 歌■学習院の創立と名称 弘化4年(1847)3月、京都に公家の教育機関として開講、当初は学習所とも称しましたが、嘉永2年(1849)4月孝明天皇より「学習院」の勅額が下賜されて正式名称となりました。 この名称が論語冒頭の「学而時習之、不亦説乎」(学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや)に基づくことは疑いないとされています。明治元年(1868)3月に講義を閉じたのち、改称や改編を経て明治3年(1870)、京都の旧学習院は廃止されました。 明治10年(1877)10月、神田錦町において華族学校開業式が行われ、明治天皇より校名を「学習院」と賜わり、次いで「学習院」の勅額が下賜されました。ここに現在の学習院が創立されたのです。■桜花の徽章(院章) 桜花の院章のデザインは、学習院の創立当初より使用されてきました。本居宣長の歌「敷島の大和心を人問はゞ朝日に匂ふ山桜花」からとられています。昭和24(1949)年に開学した学習院大学は、同年に独自の大学校章を考案して用いています。■学習院院歌の制定について大学校章院 章 明治10年(1877)年の創立以来、学習院は校歌をもたず、代わって明治天皇より賜った「修学習業歌」が式典などで歌われていました。また華族女学校・学習院女学部・女子学習院では、昭憲皇太后から下賜された「金剛石 水は器」、貞明皇后から下賜された「花すみれ」「月の桂」といった御歌が歌われました。 学習院が私立学校として再出発した後、多くの人々から院歌制定の要望が寄せられました。これに応えて安倍能成院長は、学問を好み真理を熱愛し、謙虚にして反省に富み、進んで社会に奉仕し、難に屈しない意力ある人物を養成したいとして、自ら作詞を行い(作曲は信時潔)、昭和26年(1951)年に「学習院院歌」が制定されました。データみ うた

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