朝鮮鏡城両王子紀蹟碑 請求番号221/44/1~3

資料情報

朝鮮鏡城両王子紀蹟碑 / 3枚 / 朝鮮両王子紀蹟碑 / 文雅堂書店より購入


(個別の内容は、左の画像と共に表示)

解説

『朝鮮鏡城両王子紀蹟碑』は、李氏朝鮮の高宗2年(1865)、朝鮮半島北部、咸鏡北道鏡城郡の龍城面龍郷洞に建てられた。この「両王子」とは、李氏朝鮮の第14代国王宣祖の息子、臨海君(長子)と順和君(碑文には「次子」とあるが、実際は第6子)を指す。

宣祖25年(1592)、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄の役)が起こり、両王子は戦火を避けるため、夫人を伴って咸鏡道へ逃れたが、会寧で景世らの反乱に遭い、随行していた4名の朝臣ともども捕縛されてしまう。碑文の前半では、龍城の朴惟一という処士が、その強い忠義心を武器に、敵方の加藤清正へ引き渡すために吉州へ連行されていた両王子を、賊の手から救い出した経緯を説いている。

しかし、建碑はその事件の約270年後になる。碑文の後半では、咸鏡北道兵馬評事の季鐘正が、公務で朴惟一の子孫を訪ねた折、子孫から「両王子が我が家で起居されていたことを、未だ形に残せずにいたのが気がかりであったが、このほどその行跡を石碑に刻んで後世に伝える計画が進みつつある」と聞き、彼が紀蹟碑の文章の撰述を引き受けるまでのいきさつを記録している。文字は、咸鏡北道兵馬水軍節度使兼鏡城都護府使の季南軾の手になる隷書である。なお、碑石は朴惟一の家の西側に建てられたという。

碑身4面に文字が彫られているが、本研究所が所蔵するのは、「有明朝鮮國兩王子紀蹟碑」と刻される第1面から、第3面までの計3枚である。拓本は3枚とも、文雅堂書店の茶封筒の中に収められていた。図書館の原簿には、昭和37年(1962)に文雅堂で購入したという記録が残っている。

(吉田)

請求番号221/44/1 / 登録番号157305 / 縦157.2cm×横26.5cm / 朝鮮両王子紀蹟碑(一) / 碑陽

請求番号221/44/2 / 登録番号157306 / 縦160.0cm×横26.7cm / 朝鮮両王子紀蹟碑(二) / 碑側左

請求番号221/44/3 / 登録番号157307 / 縦160.0cm×横53.0cm / 朝鮮両王子紀蹟碑(三) / 碑陰