高麗高陽太古寺円証国師塔碑 請求番号221/47

資料情報

高麗高陽太古寺円証国師塔碑 / 1枚 / 朝鮮楊州太古寺圓證国師塔碑 / 文雅堂書店より購入 /
請求番号221/46 / 登録番号157310 / 縦219.5cm×横106.5cm / 朝鮮楊州太古寺圓證國師塔碑 / 碑陽

解説

『高麗高陽太古寺円証国師塔碑』は、朝鮮半島中西部、京畿道高陽市の徳陽区北漢洞にある太古寺の法堂の傍らに、簷石〔えんせき〕・亀趺を備えた状態で現存している。高さは227.3cm、幅は107.6cm。

円証大師は、高麗末期の名僧、法名は普愚である。忠烈王27年(1301)に生まれ、13歳で出家し、さまざまな寺に移り住んで修行を重ねた。太古寺もそのうちの一つで、忠恵王復位2年(1341)、普愚が三角山重興寺の東峰に開いた庵である。忠穆王2年(1346)に46歳で、元の大都へ遊学し、元の順帝からの尊崇を得たが、同4年(1348)に帰国。高麗の歴代の王から王師・国師に封じられるが、禑王8年(1382)12月に入寂。禑王はこれを悼んで、円証と諡し、太古寺を始めとする普愚ゆかりの地に、舎利を納めるための塔や石鐘を作った。

本碑の撰文は李穡、文字は権鋳の手になる楷書である。碑身上部の題額は、「圓證國師塔銘」と篆書で書かれる。碑文末尾には、「洪武十八年乙丑九月十一日 門人前松廣寺住持大禪師 釋宏 立石」とあり、明洪武18年、すなわち高麗禑王11年(1385)に建碑されたことが知られる。碑陰には普愚門徒の姓名が刻まれるが、本研究所が所蔵するのは、碑陽の拓本のみである。

拓本は、文雅堂書店の茶封筒の中に収められていた。図書館の原簿には、昭和37年(1962)に文雅堂で購入したという記録が残っている。

(吉田)