弘慶寺跡出土平瓦片・丸瓦片

資料情報

平瓦片

史料館番号:史料館36/『標本原簿』名称:陶器太古品破片等/『標本原簿』番号:地理287/製作地域:朝鮮半島/製作時期:高麗時代/陶製/12.0cm×10.9cm×2.0cm/数量:1点

丸瓦片

史料館番号:史料館45/『標本原簿』名称:陶器太古品破片等/『標本原簿』番号:地理287/製作地域:朝鮮半島/製作時期:高麗時代/陶製/10.9cm×9.8cm×2.0cm/数量:1点

解説

弘慶寺〔こうけいじ〕は韓国忠清南道天安市に位置する。高麗時代の顕宗 12年(1021)に完成した。完成時に先君の意を奉ずるという意味で奉先弘慶寺と称される。現在、寺院の跡には、寺の創建に関する記録を記した「奉先弘慶寺碑碣」(顕宗17年〔1026〕立碑)のみが残る。韓国の国宝にも指定されているこの碑には、もともとこの土地は人の住むところから離れ、葦の生い茂る沢(池)があるような未開発の地で、盗賊がしばしば現れた。ここは位置的には国内の各地へと繋がる要衝であったが、人々の往来は困難であった。そこで、顕宗は仏法を開き、道行く人を保護するために、奉先弘慶寺と広縁通化院という客館を建てさせたという。碑文は、高麗時代の儒学者・崔冲の撰、白玄礼の書である。

この高麗時代の弘慶寺付近にて採取した平瓦片〔ひらがわらへん〕と丸瓦片〔まるがわらへん〕が本品である。それぞれに墨書きのメモが記されている。平瓦片には「成歓弘慶院 June.14」、丸瓦片には「稷山成歓弘慶院」とある。また、寄贈時の札があり、そこには、「朝鮮の古瓦/二片/西暦紀元1021年の作なりと云う/二片ともに布目あり/大正5年9月14日寄付/弘慶寺は高麗王顯宗即位12年竣工すと云う。/忠清南道天安郡成歓面弘慶院里にある弘慶寺のあとより掘り出したるもの/寄贈 清水元太郎」とある。

(村松)

平瓦片 (史料館36)

丸瓦片 (史料館45)