目次へ

公開: 2011年10月17日 / 最終更新日: 2011年12月22日
Follow HalTasaki_Sdot on Twitter 更新情報を Twitter で伝えますFollow HalTasaki_Sdot on Twitter

放射線と原子力発電所事故についてのできるだけ短くてわかりやすくて正確な解説

被ばくによるガンのリスクについての誤った情報

これは、ミニ解説「被ばくによってガンで死亡するリスクについて」の付録である(このページを読む前に元のページをお読みください。できれば、解説の主要部分も読んでいただけるとありがたいです。このページは、ぼくの解説のなかで、もっとも「どうでもいい」部類だと思っています)。 内容はまったく本質的ではないのだが、日本における放射線リスクや対策についての情報伝達が如何に杜撰(ずさん)であるかの一つの典型例になると考え、ここに記録として残しておく。 正直なところ、未だに情報を正確に発信していない関係者には訂正していただきたいのだが、これまでの経緯を考えると(きわめて残念だが)その希望はかないそうにない。やれやれ。

このページの目次

概要と考え方

放射線医学総合研究所の web ページ

中川恵一氏のブログ

文部科学省による「放射能を正しく理解するために:教育現場の皆様へ」

学術会議会長声明

朝日新聞の報道

概要と考え方

本文(「放射線って体に悪いの?」の「後からじわじわと影響がでる場合」)やミニ解説「被ばくによってガンで死亡するリスクについて」で解説したように、ICRP 勧告によるガンのリスクについての「公式の考え」では、
100 mSv の緩慢な被ばくで、生涯のガンによる死亡のリスクが 0.5 パーセント上乗せされる(ガンによる死亡率がもともと 25 パーセントだったとしたら、 25.5 パーセントになる)
とされている。

ところが、ICRP の考えを説明するという文脈で、

100 mSv の緩慢な被ばくで、ガンの発生率が 0.5 パーセント上乗せされる(発生率がもともと 50 パーセントだったとしたら、 50.5 パーセントになる)
という記述が多くのところで見られた。 個人ブログやマスコミの報道ばかりか、文部科学省からの公式文書、学術会議の会長声明など、信頼すべきであるはずの機関からの文書にもこの記述があった。 もちろん、これは ICRP の「公式の考え」とはちがう。

生涯のガンの発生率を(大ざっぱに)生涯ガン死亡率の 2 倍だとすれば、100 mSv の被ばくによる上乗せ(過剰リスク)も 2 倍にしなくてはいけない。 つまり、ICRP の「公式の考え」と整合させるためには、上の記述は

100 mSv の緩慢な被ばくで、ガンの発生率が 1 パーセント上乗せされる(発生率がもともと 50 パーセントだったとしたら、 51 パーセントになる)
と改めなくてはいけない。 言い換えれば、上の誤った記述では、被ばくによるリスクを、「公式の考え」に比べて半分くらいに小さく伝えていることになる。

なぜこういう間違いが生じたのかわからないし、それを詮索しても意味がないだろう。 どこかで生じた誤りが「伝言ゲーム」として伝わってしまったのだろうか?  もとになる ICRP の 2007 年勧告がわかりにくいのは事実だが、報道関係者や公的機関の関係者がプロとして情報発信する以上、こんな間違いを犯すのは信じがたいことだ(ICRP pub. 103 をじっくりと読めば十分なことだが、それで不明確だと思うなら専門家や ICRP に問い合わせればよいではないか! 個人が趣味のブログを書いているのとは根本的に違うのだから)。


もちろん、ICRP の「公式の考え」はリスクを評価するためのかなり大ざっぱな目安に過ぎない。 1 パーセント以下の低リスクの領域では、2 倍程度の違いは本質的ではないかもしれない。

そうは言っても、ともかく国際的な「お約束」として、被ばくによるガンのリスクについての「公式の考え」を定め、そして、日本もそれに従おうと決めたわけである。 長期にわたる低線量被ばくが現実の問題になってしまった今の日本で、ICRP の「公式の考え」は(それに異論を持っている人にとっても)議論や判断の出発点になっていくはずだ。 責任ある立場の人たちには、そういう重要な基準をしっかりと理解し、正確に伝える義務がある。 本質的でないから間違ってもいいという理屈はあり得ないと思う。

そして、何よりも重要なことだが、こんな基礎的なこともきちんと伝えられないようで、どうやって、もっと込み入ったデリケートなリスクの問題について議論していこうというのか?


おそらく、少なからぬ有志の人たちが、このような誤った情報発信について抗議をおこなったと推測される。 ぼくも多少の努力をしたが、ぼくの知る範囲では、元・物理教員の O さんの功績が大きい。かれは多くの関係者に対して、忍耐強く説明し訂正を求める努力を続けられた。

その結果、2011 年 9 月頃までには、誤りはある程度は訂正されたようだし、また、新聞報道なども正確になってきた。 しかし、誤りを指摘しても単に無視されることも多かったし、指摘から訂正に至るまでの時間は異常に長かった。 また、訂正をしたといっても、文部科学省の場合は実にわかりにくい表現に書き直してしまったし、学術会議は「注記」と書いてあくまで誤りはなかったという姿勢を貫いている。 さらに、私がメールでやりとりをした朝日新聞科学医療グループの担当者は、最後まで「100 mSv の緩慢な被ばくで、ガンの発生率が 0.5 パーセント上乗せ」という記述が正当だと主張していた(その後、朝日新聞の別の記事では正しい数値が紹介されているのだが・・)。

汚染のひどい地域の人々の被ばく量をしっかりと把握し、被ばくを増やさないための努力をすることに比べれば、このような話はまったくどうでもいいことだ。 しかし、(上の引用のように)ICRP 103 に明瞭に書いてあることを認めさせるのにこれほど骨が折れた(そして、今でも訂正は完璧ではない!)という事実は(暗澹たる気分にはなるが)これからのためにも書き留めておくべきだと思う。

以下は、具体的な誤り、そして、訂正の要求に対する反応の簡単なまとめである。 もちろん、ここに誤りの例をすべて網羅しているというつもりはない。おそらく、もっともっと多くの例があるだろう。 ここでは、O さんとぼくが直接確認し訂正の申し入れをおこなった事例を中心にまとめておく。 また、このページを公開した後に教えてもらったのだが、放射線医学総合研究所の web ページの誤情報にも初期に同様の誤りがあり、それが誤りの発生源となった可能性もある。 そこで、はじめに放医研の誤りについても書いておく(情報を提供してくださった方に感謝します)。

これを書くにあたり、O さんにお世話になったことを感謝する。

放射線医学総合研究所の web ページ

(お願い:Twitter 等から、直接ここにとんできた方は、どうかページの先頭に戻って読み始めてください。お願いします。できれば、目次 から本文(放射線と原発事故に関わる基礎知識を見通しよくまとめたつもりです)をご覧いただけると、もっとうれしいです。)

独立行政法人・放射線医学総合研究所(web ページはこちら)は、その名のとおり、放射線にかかわる医学を研究する専門の機関である。 web ページでの(自己)紹介には、

放医研は、放射線と人との関係について
総合的に研究開発を進める
国内唯一の研究機関です。
とある(改行は
元のページの
とおりです)

その放医研が、事故のすぐあとの 2011 年 3 月 14 日に公開した web ページ「東北地方太平洋沖地震に伴い発生した原子力発電所被害に関する放射能分野の基礎知識(平成23年3月14日・13時50分更新)(2011 年 10 月 18 日現在、このページは放医研の上位のページからはリンクされていないようだが、ちゃんと放医研のサイトに残っているし、外部のサイトからリンクされている。念のため、web 魚拓というものを生まれて初めてとった)の項目 3 には、

また、被ばくした放射線量が高いほど数年後から数十年後にがんになる危険性が高まると考えられますが、その危険性は、例えば100mSv(ミリシーベルト)の放射線量で0.5%程度です。
と明記してある。

ここでは、ICRP 勧告のことに触れていないから放医研独自のリスク評価を示したと受け取れないこともないが、まあ、やはり凡ミスなのだろう。 プロの中のプロだし、(ぼくも含めて)多くの人が放医研の情報は正確だと考えて信頼している(いた)のだから、しっかりしていただきたいものだ。 放医研のページは多くの人に参照されたはずだから、多方面に広がった誤りの元凶はここなのかもしれない(そう批判されても反論はできないだろう)。


さすがに、放医研はすぐにミスに気づいたようだ。

2011 年 4 月 8 日に公表された「放射線被ばくに関する基礎知識 サマリー版 第1号(Ver1.1)(web ページ)」には、「100 mSv の被ばくで、ガンによる死亡が 0.5 % 増加」という、ICRP の「公式の考え」が図解入りで解説されている(現在参照できるのは 7 月 1 日に更新されたページだが、当時から放医研のミスに気づいて注目していた方によると、4 月 8 日の時点で正しい記述に置き換わったようだ)

しかし、この「サマリー版」をざっと見たところでは 3 月 14 日の記述が誤っていたという訂正のコメントは見当たらないし、当時から放医研のサイトを見ていた方によると、何の説明もなく前のページが引っ込められて新しい物になったという。 放医研が明示的に訂正を発表したことをご存知の方がいらっしゃったら教えていただきたい。 きちんと訂正しないまま「サマリー版」に置き換えてしまっているとしたら(←プロの研究者がそんなことをするはずがないというのが、ぼくの常識なのだが、だんだん常識が揺らぎそうで辛い)、放医研には正式に質問・抗議をすることを考えようと思う。

中川恵一氏のブログ

中川恵一氏の紹介は不要だろう。東京大学医学部附属病院放射線科に在籍する専門家であり、事故の当初から幅広く情報発信をおこなっている。

その中川氏のブログに、一定の期間、「100 mSv の被ばくで発ガンのリスクが 0.5 % 上乗せ」という、ICRP 勧告とは食い違う記述があった。 中川氏の情報は大きな影響力をもっていると思われるので、この記述を参照して、誤った情報を広げた人がいた可能性もある。

ただし、今では中川氏は誤りを完全に訂正している。さらに、誤った記述がどのようなものであり、それをどのように訂正したかも同ブログ記事のなかに明記している

いったい中川氏のような専門家が何故このようなミスを犯し、また、何故ブログの訂正に長い時間がかかったのかは理解しがたいが、しっかりと「訂正とお詫び」を公開したかれの誠実さは評価すべきだと考えている。

詳細については、ここで論評するより、中川氏の 2011 年 3 月 29 日のブログ記事をご覧いただくのがいいだろう。


なお、上のブログ記事に、
学習院大学の田崎晴明先生をはじめとする皆様からご指摘を頂き、記事を訂正しました。
との記述がある。

実際、O さんは中川氏に訂正を求めたし、ぼくもブログの記述はおかしいのではないかという質問メールを出した。

ただし、少なくともぼくがメールを書いた時点では、中川氏はブログの記述が誤っていることは完全に理解していた。 かれ自身が専門家でもあるし、また周囲にも多くの専門家がいるわけだから、ミスに気づいていたのは当然であろう。 ぼくの名前を挙げてくれたのは上品な社交辞令だろうと思う(ぼく自身、事故の当初から中川氏の多くの有益な情報発信を参考にしてきた。ただし、中川氏とチーム中川が発信した情報のすべてに納得・同意しているわけでない。ここでの話題とは無関係だが、念のために断っておく)

文部科学省による「放射能を正しく理解するために:教育現場の皆様へ」

文部科学省による「放射能を正しく理解するために:教育現場の皆様へ(平成 23 年 6 月 24 日)(私が保存した pdf ファイルへのリンク)」という資料(これは 2011 年 10 月 16 日現在、文部科学省の「東日本大震災関連情報」のページにある)の 11 ページの「確率的影響と確定的影響(その2)」の第 2 項目は、
・ 「発がん」の確率は、弱い放射線の場合、積算100ミリシーベルト(= 100,000マイクロシーベルト )で約0.5%程度上昇すると見積もられていま す。今回、原発事故で考えられる唯一の身体の影響は、「発がん」です。
となっていて、やはり典型的な誤りである。 実は、二文目の「原発事故で考えられる唯一の身体の影響は『発がん』です」も決して「公式の考え」ではないと思うのだが、ここでは、そこには深入りしない(この資料には他にも不満を感じる点がある)。

文部科学省が教育現場の人に向けた文書のなかに、このような初歩的なミスがあったのは重要な問題である。 この文書を作った担当者は自分で ICRP 103 を参照しなかったのだろうか? 役所の公文書を作成する際に、(たとえばの話だが)単に個人ブログを引用して終わりということがありうるのだろうか?


O さんは、文部科学省の web の「ご意見・お問い合わせ入力フォーム」で誤りの内容を伝え、さらには電話をかけ対応した職員に ICRP 勧告の内容を丁寧に解説した。 おそらく、他にも同様の指摘をした人は多かっただろう。

ぼくも、O さんをならって、2011 年 8 月 4 日に文部科学省の「ご意見・お問い合わせ入力フォーム」に以下の内容を投稿した。

いつもお世話になっております。学習院大学理学部の田崎と申します。 http://www.mext.go.jp/a_menu /saigaijohou/index.htm掲載の「放射能を正しく理解するために(平成23年6月24日改訂)」p11 の二つ目の項 目に「発ガンの確率」とありますが、ICRP 勧告に従うなら、これは「ガンで死亡する確率」とすべきです。今の書き方はリスクを半分程度に過小評価することになるので、早急な訂正が必要と考えます。どうかよろしくお 願いいたします。 これについては、ICRP の出版物に (87) したがって、現在の国際放射線安全基準が基づいている全体的なおおよその致死リスク係数である 1Sv 当たり約 5% という委員会の勧告は、引き続き、放射線防護の目的に対して適切である。(ICRP, PUblication 103、日本語訳 p21) と明記されているので、議論の 余地はないと考えております。 (簡単な解説をhttp://www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/details /cancerRisk.htmlに書きました。) ご担当の方からのメールをお待ちしています。 田崎晴明
しかし、残念ながら、担当者からの連絡は今までのところまったくない。 O さんのところにも連絡はなかったと聞く。
ところが、文部科学省は件の文章を訂正していたことに O さんが気づいた。

放射能を正しく理解するために:教育現場の皆様へ(平成 23 年 8 月 19 日)(私が保存した pdf ファイルへのリンク)」(これは、2011 年 10 月 16 日の時点で文部科学省の「重要なお知らせ」のページからダウンロードできる。どういうわけか、6 月 24 日の古いバージョンも「東日本大震災関連情報」のページからダウンロードできる)では、以前の p11 の記述が、

・ 「がんのリスク」は、積算100ミリシーベルト(=100,000マイクロシーベル ト )で約0.5%程度上昇すると見積もられています。今回、原発事故で考え られる唯一の身体の影響は、「がん」です。
に置き換えられている。 つまり、「損害で調整されたがんリスクの名目確率係数」を単に「がんのリスク」と言い換えたのである。

これで間違いではなくなったということなのだろう。 しかし、単に「がんのリスク」と言われて意味がわかる人がいるだろうか?  そもそもリスク評価というのは、どのくらいの危険がありうるのかをわかりやすく定量化し(避難すべきかといった)決断を下す助けにするためのもののはずだ。それを曖昧な説明ですませていては困るのではないか?

くり返し説明しているように、ICRP 103 を読む限り、「損害で調整されたがんリスクの名目確率係数」は大ざっぱには「ガン死亡リスク」と解釈してよい。それならば、そう書けばいいのではないか?

さらに言えば、新しいバージョンでどこが訂正されたかといった情報がまったくないのも気にかかる。

学術会議会長声明

2011 年 6 月 17 日付けの日本学術会議会長談話「放射線防護の対策を正しく理解するために(学術会議のサイトの pdf ファイルへのリンク)」(2011 年 10 月 16 日現在、学術会議の「東日本大震災への対応(東日本大震災対策委員会)(web ページ)」からダウンロード可能)には、
具体的には、積算被ばく線量が 1000 ミリシーベ ルト(mSv)当り、がん発生の確率が 5%程度増加することが分かっています。すなわち、100 mSv では 0.5%程度の増加と想定されますが、(以下、略)
との記述がある。 またしても典型的な誤りである。

「わが国の科学者の内外に対する代表機関」の会長が、「放射線防護の対策を正しく理解するために」と題して発表した文章に初歩的なミスがあるのは、いったいどうしたことだろう?


この会長声明についても、O さんは地道に誤りを教える努力をされた。 私も学術会議の web を通して意見を送った。

今回も、また、O さんにもぼくにも返事は来なかった。


2011 年 8 月 17 日に、会長談話のファイルに新しいページが追加された。 そこには、
注記 1ページ本文 17 行目の「がん発生の確率」は、より正確には「がん罹患やがんによる死亡率のリスク(死亡率に換算した損害の割合)」の意味です。
とある。

「より正確には」という表現は、「もとの記述も十分に正しいが、より正確には次のように言ったほうがいい」という意味で使うものと理解している。 それなら、この追記での主張は、

「がん発生の確率」というのは正しい表現なのだがやや正確さを欠き、より正確には「がん罹患やがんによる死亡率のリスク(死亡率に換算した損害の割合)」と書いた方がいい
ということになる。 だから、この追記はあくまで「注記」であり「訂正」ではないということなのだろう。

しかし、「がん発生の確率」を「より正確に」言い直したものが「がん罹患やがんによる死亡率のリスク」だというのは、どう考えても無茶な主張ではないだろうか? 両者は異なった概念だし、数値としても 2 倍くらい異なっているはずだ。 「『生涯にガンで死亡する確率』は、より正確には『がん罹患やがんによる死亡率のリスク(死亡率に換算した損害の割合)』の意味です」というのなら、論理的でまっとうな表現になる。

ぼくは、以前の記述は誤りだったと考えている。そして、「がん発生の確率」を「がん罹患やがんによる死亡率のリスク(死亡率に換算した損害の割合)」に言い換えるのは、「注記」ではなくて「訂正」だと確信している。 これは、ぼく一人の考えではない。少なくとも中川恵一氏は、同じ言い換えをするにあたって「訂正」であると明記したのだ。

金澤一郎元会長は本当にこれでいいとお考えなのだろうか?

金澤さん、貴兄が会長職を去るにあたって発表した声明に初歩的だけれど重要なミスがあったのは実に残念な、そして、取り返しのつかないことだと思います。しかし、そのミスをミスと認めず、口先だけで言い逃れようとする「注記」を後に残すのは、科学者の誠実さに関わる、はるかに深刻な行為だと私は信じています。既に「注記」は万人の知るところとなってしまいましたが、これからであっても、より誠実な形に「声明」を修正されることをお考えになってはいかがでしょうか?

(↑金澤元会長の連絡先をご存知の方は、このページのことを教えてあげてください。ぼくは学術会議に送ったコメントに対して返事をもらっていないので、これ以上学術会議へは連絡しません。)

朝日新聞の報道

2011 年 7 月の朝日新聞の紙面には、
2011 年 7 月 22 日朝刊 7 面 生涯被曝 100 ミリ案 4段目
ICRP の考え方では「100 ミリシーベルトを浴びると、発がんリスクが 0.5% 上がる」とされる。
あるいは、
2011 年 7 月 26 日夕刊 1面 生涯被曝「100ミリ目安」 3段目
これまで国などは、被曝と健康影響の関係について、国際放射線防護委員会(ICRP)の考え方や専門家の意見を参考に「100 ミリシーベルトで発がんリスクが 0.5% 上がる」などと説明してきた。
といった記述がある。

後者は「国などは・・・説明してきた」とあるので厳密な誤りではないが(しかし、もし勧告の正しい内容を理解しているなら、「国など」の説明の誤りを指摘すべきだ)、前者は典型的な誤りのパターンである。


このような報道について、O さんがメールや電話で誤りを指摘し訂正を求めたが、けっきょくは、訂正はおこなわれなかった。

ぼくも、朝日新聞の科学グループと医療グループ宛にメールを書き、誤りを説明し、訂正を求めた。 これに対して、朝日新聞科学医療グループ次長の石田勲氏がメールで対応してくれたが、残念ながら、石田氏は新聞の記述に誤りはないとして議論は完全に平行線に終わった。

ぼくとしては、この件は、ICRP 103 の

(87) したがって、現在の国際放射線安全基準が基づいている全体的なおおよその致死リスク係数である 1Sv 当たり約 5% という委員会の勧告は、引き続き、放射線防護の目的に対して適切である。(ICRP, PUblication 103、日本語訳 p21)
を引用すれば議論抜きであっさりと片がつくはずだと信じていたので、石田氏の反応は大いに意外だった。 ぼくは(石田氏の誤りを逐一指摘するという方針はとらず)基本的な考えを説明し、また、石田氏の解釈に従えば ICRP の 1990 年勧告から 2007 年勧告で被ばくのリスクが半減したことになってしまうという点を説明した。 さらに、専門家の中川恵一氏が誤りを認めて既に訂正していることも強調した(←こういのは、いわゆる「権威に頼った議論」だ。もちろん、ぼくは権威を持ち出して議論するのは好きではないし、真面目な議論のときにはそういうことはしない。 けれど、これは何ら本質的な話ではなく、単なる条文解釈の問題だ。それなら、その道に通じた専門家の判断を信じましょうというのはまっとうな態度だと思う)。 しかし、石田氏の意見は変わらなかったようだ。 石田氏はぼくに二回返事をくれたが、それ以降は返事はない。

ぼくは石田氏の主張に理があるとは思えないが、これはたいへん興味深い事例でもある。 以下に、ぼくと石田氏のメールのやりとりを編集やコメントなしで公開しようと思う。 なお、われわれはもともと「公人」としてメールをやりとりしているので公開に問題はないと考えているが、それでも念のために石田氏にはやりとりを公開することは伝えてある。


その後、朝日新聞紙面にも ICRP 勧告の正しい引用が見られるようになった。

たとえば、2011 年 8 月 18 日の朝日新聞朝刊第 2 面に「さまざまな被曝」(放射線医学綜合研究所などによる)の図の中に

100 ミリシーベルトがんによる死亡が 0.5% 増えるとされる
という記述がある。 また、2011 年9月8日朝日新聞朝刊 5 面には、
1千ミリシーベルトの被曝で将来のがん死亡が約5%増、1ミリシーベルトなら約 0.005%増という計算だ。
とある。

ただし、以前の記述への訂正は(われわれの知る限り)出ていないし、O さんやぼくへの連絡もない。


田崎と石田氏のメールのやりとりの記録
2011/8/4

朝日新聞、科学グループ、医療グループ御中

学習院大学理学部物理学科の田崎と申します。 XXさんのおすすめで、こちらのアドレスにメールさせていただいております。

さて、7 月の貴紙の紙面に、以下のような記述がありました。

===== 引用開始 =====
7月22日朝刊 7面 生涯被曝100ミリ案 4段目
 ICRPの考え方では「100 ミリシーベルトを浴びると、発がんリスクが 0.5% 上がる」とされる。

7月26日夕刊 1面 生涯被曝「100ミリ目安」 3段目
 これまで国などは、被曝と健康影響の関係について、国際放射線防護委員会(ICRP)の考え方や専門家の意見を参考に「100 ミリシーベルトで発がんリスクが 0.5% 上がる」などと説明してきた。
===== 引用終了 =====

しかし、これは単純な引用ミスで、「発ガンリスク」とあるところは、「生涯ガン死亡リスク」とするのが正確です。

これについては、ICRP の出版物に、

(87) したがって、現在の国際放射線安全基準が基づいている全体的なおおよその致死リスク係数である 1Sv 当たり約 5% という委員会の勧告は、引き続き、放射線防護の目的に対して適切である。(ICRP, PUblication 103、日本語訳 p21)
と明記してありますので、議論の余地のないことです。 (ごく初歩的な解説を http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/details/cancerRisk.html に書きました。)

ICRP 勧告の妥当性について議論があるのは事実です。しかし、上記の記事は単に ICRP の公式の考えを紹介する文脈ですので、そういった議論とは無関係だと理解しております。 今のままの記述ではリスクを半分ほど過小評価することになるので、好ましくありません。 早急な訂正をお願いしたいと思います。

(東大病院の中川氏のブログにも同じ間違いがありましたが、それも訂正されています。)

この点につきまして、メールの返信をお待ちしています。

よろしくお願いいたします。

田崎晴明

2011/8/8

田崎晴明先生


 朝日新聞科学医療グループで放射能、医療問題を担当しております石田と申します。
この度は記事に関しまして、メールを頂戴しありがとうございました。
お返事が大変遅くなり誠に恐縮ですが、我々の考え方を整理してお伝えいたします。
ご理解いただければ大変ありがたく存じます。今後とも弊紙、ご愛読いただきますよう、
よろしくお願いいたします。

 朝日新聞科学医療グループ次長、石田勲
-----------------------

 弊社記事の「100_シーベルトで発がんリスクが0.5%上がる」について、
参考にしております資料はICRP2007年勧告(ICRP Publication 103)です。
 2007年勧告で提案されております「損害で調整されたがんリスクの名目確率係数」は
「1Sv(1000mSv)あたり5.5%」であると思います
(2007年勧告 日本語版19ページ表1および、21ページ パラグラフ(83)の記述)。
 直線しきい値なしモデル(LNTモデル)の考え方を採用して「100mSvで0.5%上がる」
 という書き方にしました。

 ICRPのがんのリスク評価については、1990年の勧告ががん死亡率をもとに
「致死的がんのリスク」を述べたのに対して、2007年勧告はがん罹患率を重視する
という大幅な変更がありました(2007年勧告 日本語版p21 パラグラフ(84))。

 1990年から2007年までの間に広島・長崎の被爆者のがん罹患率に関する新たな
論文発表がありました。2007年勧告では「がん罹患率ではより正確な診断が考慮できる」
「今回の勧告でがんの罹患率データに重きを置いた」としています
(2007年勧告 日本語版18ページ(68))。

 2007年勧告のご指摘の部分、「(87) したがって、現在の国際放射線安全基準が
基づいている全体的なおおよその致死リスク係数である 1Sv 当たり約 5%という委員会の勧告は、
引き続き、放射線防護の目的に対して適切である。(ICRP, Publication 103、日本語訳 p21)」は、
パラグラフ(84)ー(87)で1990年勧告と2007年勧告の違いを説明した文脈の記述であって、
2007年勧告の本体は表1と(83)で示されたリスク係数であると理解しております。

----------------------------------------

科学医療グループ次長、石田勲
2011/8/8

石田さま、

お返事ありがとうございました。

しかし、私の趣旨がまったく通じなかったようで、とまどうとともに、書き方が不十分だったかと反省しております。

>  2007年勧告で提案されております「損害で調整されたがんリスクの名目確率係数」は

基本的な点は、「損害で調整されたがんリスクの名目確率係数」は、ややこしい概念ですが、
おおざっぱには、「発ガンリスク」ではなく、「生涯ガン死亡リスク」に近いということです。

(87) はその点を明示的に示したものと解釈できます。


私自身は放射線防護の専門家ではありませんが、上記の解釈が正しいことは
東大病院の専門家ともコンタクトして確認してあります。
放射治療をおこなっている中川恵一氏のブログ
http://tnakagawa.exblog.jp/15130220/
をご覧ください。かれも最初は貴紙と同じ間違いを書いていましたが、今では訂正しています。


以上のことを申し上げれば、議論の余地はないと考えるのですが、いかがでしょうか?

もし、それでも

「損害で調整されたがんリスクの名目確率係数」=「発ガンリスク」

という解釈を貫かれるのでしたら、そう解釈する理由、また、(87) の主張が明らかにそれとは
矛盾している理由について、明確な説明が必要かと考えます。


よろしくお願いいたします。


田崎晴明
2011/8/9

田崎さま

 ICRP2007年勧告のパラグラフ(87)は以下のように書かれています。
 「(87) したがって、現在の国際放射線安全基準が基づいている全体的なおおよその
致死リスク係数である 1Sv 当たり約 5%という委員会の勧告は、引き続き、放射線防護の目的に対して適切である。」

 この「全体的なおおよその致死リスク係数である 1Sv 当たり約 5%という委員会の勧告」は
1990年勧告を指しています。2007年時点で「現在の国際放射線安全基準が基づいている」
のは既存の1990年勧告だからです。
 このパラグラフ87は、2007年勧告が出た後でも1990年勧告も引き続き適切である
と言っているわけで、2007年勧告が「致死リスク係数」を示したという意味ではないと理解しています。

 1990年勧告(Publication 60)の名目確率係数は、1シーベルトあたり、「致死がん」で5%、
「非致死がん」で1%としています(1990年勧告 日本語訳27ページ、表3)。

 それに相当する2007年勧告(Publication 103)の表1では、がんの名目リスク係数について、
「本勧告 5.5%、Publ.60 6.0%」と記述しています(2007年勧告 日本語訳19ページ)。

 両者を比べると、2007年勧告の「Publ.60 6.0%」は、1990年勧告の
「致死がん5%+非致死がん1%=6%」であることは明らかです。

 したがって、2007年勧告の「本勧告 5.5%」は「致死がん+非致死がん」と
解釈するのが妥当であると考えます。このため、2007年勧告のリスク係数について「致死がん」
と言い切るのには躊躇しております。

 朝日新聞、石田勲
2011/8/9

石田さま、

ご丁寧にありがとうとざいます。


> このため、2007年勧告のリスク係数について「致死がん」と言い切るのには躊躇しております。

という文章(とくに「躊躇」という言葉使い)を拝見すると、
「損害で調整されたがんリスクの名目確率係数」が「致死ガン発生リスク」に近いと
お考えのように見えますが、そうなのでしょうか?


私自身の理解は、東大附属病院放射線部の方(中川さんとは別)に
教えてもらったことにもとづいています。おおざっぱには、

1
単に発ガン率といって、軽微なガンまで含めてしまうと、その数は膨大になってしまうし、
深刻でない物まで数えてしまう。かといって、致死性のガンだけを数えると、
(かろうじて命を取り留めて、手術後も著しく消耗するような)
重篤なガンを数え落とすので、それもおかしい。

2
そこで、「きわめて重篤な(死ぬかも知れない)ガンの発生リスク」ということで、
症状ごとに重みをつけた「損害で調整されたがんリスクの名目確率係数」という量を使うことにした。

3
だから、「損害で調整されたがんリスクの名目確率係数」を「ガン死亡リスク」というのは
(厳密には)不正確。かといって、「ガン発生リスク」というのも(もっと)不正確。
敢えて言うなら「重篤なガン発生のリスク」あたりが正確かも知れない。

ということなのですが、これにはご賛成いただけるのでしょうか?



(87) では 1990 年勧告の内容が引き続き「適切である」と述べています。
それは、つまり 2007 年の勧告も 1990 年勧告と大きくは変わらない、おおざっぱには同じである
という意味にとるのが自然だと思います。



「1Sv 被ばくによるガン発生の過剰絶対リスクが約 5 %」ということは、
(ガンにかかった人の半数が亡くなるとして)「1Sv
被ばくによるガン死亡の過剰絶対リスクが約 2.5 %」ということになります。
つまり、石田さんの解釈なら、2007 では、1990 に比べて、リスクが半分に下げられたことになってしまいます。

おかしいでしょうか?


田崎
2011/8/26

石田さま、


以前、被ばくによるガンリスクの「公式見解」の解釈(の誤り)について訂正をお願いした学習院大学の田崎です。
8 月 9 日の私のメールにはお返事をいただけなかったようでたいへん残念です。
解釈を変えるお考えがないものと了解しました。

普通の「論争」ならばあきらめる状況ですが、これほど重要な問題について
天下の朝日新聞が誤った情報を伝えたままだというのは看過できません。なんらかの方法を考えさせていただきます。

さいごに、以下の点を指摘・確認させていただきたいと思います。


1)
8月18日、朝日新聞朝刊第2面に「さまざまな被曝」(放射線医学綜合研究所などによる)の
図の中に「100ミリシーベルトがんによる死亡が0.5%増えるとされる」という引用がある。

よって、すでに朝日新聞のなかでも二つの解釈が示されてしまったことになる。
どちらかを訂正するのが筋である。

2)
以前にも指摘したように、放射治療の専門家である中川恵一氏はブログ
http://tnakagawa.exblog.jp/15130220/
での誤った記述を後日明確に訂正している。
かれは私などの指摘を受けたと明記しているが、もちろん放射線防護の素人である私の意見に左右されたわけではない。
かれは私が指摘する以前に誤りに気付いていたし、いったん書いたことを訂正するにあたって、
当然ながら、周囲のリスク評価の専門家とも議論している。

貴兄が「1 Sv の被ばくでで発ガンの EAR が 5 %」という解釈を貫かれるならば、
中川氏とその周辺以上に専門的な分析をしたと言い切れる根拠が必要だと思う。

このような「権威に頼った議論」は科学者らしくないとお考えかも知れないが、
これはしょせんは条文解釈の問題である。つまるところ、われわれは
ICRP の作文能力の低さに振り回されているにすぎない。こういった点については、
餅は餅屋で、専門家の見解に従っていいと考える(もちろん、ICRP
の基準が正当かどうかといった議論は本質的に別の次元の話)。

3)
学術会議会長の談話にも貴誌と同様の誤りがあったが、その後、訂正の要望を受けて修正されている。
文部科学省は未だに訂正していない。

4)
私自身が、「発ガンリスク」と「生涯ガン死亡リスク」の(2倍程度の)相違は気にしなくてよい
(しょせんは目安)と考えていることは既に書いた。
しかし、たとえ目安とはいえ、これほど基本的な点が正しく伝わらないのは怖ろしいことだ。
これはいろいろな意味で興味深い問題なので、さしあたっては、web 上にまとめを
作り状況を人々に知らせることを考えている。
その際、貴兄の分析はきわめて興味深いので、今回のメールのやりとりを
そのまま web 上で公開するつもりである。
今回のメールのやりとりはもともと「公人」として行なっているものなので、
事前にお断りする必要はないと理解しているが、念のため、お知らせしておきたい。


以上です。
2011/12/22

石田さま、

以前、ICRP 勧告の内容について質問および訂正のお願いをした田崎です。

その後、文科省からのテキストをはじめとした種々の解説など、ほとんどのところで

 「1 Sv の被ばくで生涯ガン死亡リスクが 5% 上乗せされる」

が、ICRP の考えとして紹介されるようになっています。
朝日新聞でも(まだしていないのであれば)訂正するのが適切ではないかと考えております。




私のメールへのお返事をいただけないようですが、ICRP 勧告について新しいことがわかったのでメール
させていただきました。

以前のメールで、石田さんは、


>  ICRP2007年勧告のパラグラフ(87)は以下のように書かれています。
>     「(87) したがって、現在の国際放射線安全基準が基づいている全体的なおおよその致死リスク係数である 
>   1Sv 当たり約 5%という委員会の勧告は、引き続き、放射線防護の目的に対して適切である。」
>
 >    この「全体的なおおよその致死リスク係数である 1Sv 当たり約 5%という委員会の勧告」は1990年勧告を指しています。


と書かれていました。

ところが、この部分に該当する ICRP publ. 103 の英語版を見ると、

(87) It is therefore the recommendation of the Commission that the approximated 
overall fatal risk coefficient of 5% per Sv on which currrent international radiation sfety 
standards are based continues to be appropriate for the purpose of radiological protection. 
(ICRP publ. 103, p.55)

とありました。つまり日本語版は不正確です。
(念のため、http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/details/cancerRisk.html#4 
に解説を書きました。)

日本語版をみると過去の勧告について書いているようですが、英語版は堂々と
 It is therefore the recommendation of the Commission that と現在形で書いているので、
 これは、2007 年の時点で「現在の委員会の勧告」ということになります。

以上、情報提供させていただきました。

田崎晴明


目次へ


このページを書いて管理しているのは田崎晴明(学習院大学理学部)です。 申し訳ありませんが、ご質問やご意見は(Twitter ではなく) hal.tasaki.h@gmail.com 宛てのメールでお願いします。
リンクはご自由にどうぞ。いろいろな人に紹介していただければ幸いです。 目次の URL は、http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/housha/です(URL をマウスでおさえて「リンクをコピー」してください)。
このページの各項目に直接リンクするときには、上の目次の項目をマウスでおさえて「リンクをコピー」してください。